LAND|Vol.03 藝とスタジオ(ファンタジア!ファンタジア! ―生き方がかたちになったまち―)

様々なまちを訪れ、気になる活動を行うスペースを紹介する[LAND]。3回目に訪れたのは、墨田区東向島にある「藝とスタジオ」です。「藝とスタジオ」を拠点に活動するアートプロジェクト「ファンタジア!ファンタジア! ―生き方がかたちになったまち―」のディレクターを務める青木彬さんにお話を伺いました。

「ファンタジア!ファンタジア! ―生き方がかたちになったまち―」(以下、ファンファン)は、東京アートポイント計画の一環として東京都墨田区を舞台に、墨田のまちに集まる人々やアーティスト、研究者らの出会いを通じて豊かに生きるための創造力を育む「学びの場」を生み出していくアートプロジェクトです。その拠点では、どのような活動が行われているのでしょうか。

Q.「藝とスタジオ」について教えてください。
以前までファンファンの拠点は墨田区の京島という場所にあったのですが、2020年に移転して始まったのが「藝とスタジオ」(以下、「藝と」)です。2階建ての建物で、1階をファンファンの拠点として利用していて、これまでの発行物やプロジェクトの関連書籍、墨田区で過去に行われた文化事業のアーカイブ資料が入っている本棚があったり、リソグラフの印刷機があったりします。2階は建築家やアーティストとのシェアオフィスになっています。「藝と」では月に数回、週1ぐらいを目安にオープンスタジオの日を設けているのですが、オープン時のプログラムは日によって違います。例えば今日は「ソーシャルワーカーを目指すキュレーターの自習室」を行っているのですが、これは今、僕が社会福祉の勉強のために通信で大学に通っているので、大学の課題を行う日をオープンスタジオにしちゃおう!と思って始めたものです。自習室と称して開けているのですが、近隣のソーシャルワーカーの人たちが噂を聞きつけて遊びにきてくれたり、みんなで勉強したいものを持ち寄って黙々と勉強したり、いい時間になっています。他にはリソグラフのワークショップやトークイベントなどを行ってみたり、タイミングによって様々な活動があります。

Q.2階をシェアしている方々と一緒に活動を行うこともあるのですか?
ファンファンとしては今のところはないですね。ただ2、3ヶ月くらい前に僕がファンファンとは別に、アーティストの中島晴矢さんと建築家の佐藤研吾さんと一緒に行っているプロジェクト「野ざらし」の交流会をファンファンのオープンスタジオに合わせて行った際、企画の一つとして「建築マニアックバトル」という会をひらきましたね。30代くらいの建築家たちが自分の好きな建築のディティールについて話をするマニアックなイベントだったのですが、そのときにシェアオフィスの建築家の人たちにも参加してもらいました。他の日でも、ファンファンが活動しているときに1階の様子を見に来たり、面白い人がいたら紹介したり、ワークショップをやってみたいと言ってくれてたり…。場所の話で言えば、1階に資材置き場があるんですけど、そこも勝手に整理してくれてたり、知らない間に変化している部分があったりして、そういうところは複数人で一つの場所をシェアしている面白さだと思っています。

Q.移転して現在の拠点になったと伺いましたが、これまでの拠点の変遷について教えていただけますか?
最初に拠点を借りたのが活動を始めてから2、3年目くらいのときで、「sheep studio」という2階建てのアトリエでした。複数の事業者が借りている場所に僕らも間借りさせてもらっている状態だったので、僕らの行うイベントだけでなく、滞在しているアーティストが展覧会をやっていたり、日々いろいろなイベントが開催されていました。僕らもワークショップやトークイベントを1、2回ほど行いましたね。その後「sheep studio」が閉じることになったので、僕が個人的に関わっていた喫茶店に移り、そして今の「藝と」に移ってきたという感じです。

Q.今の場所に移転してから拠点の在り方に変化はあったのでしょうか?
「sheep studio」は大通りにあり、拠点の目の前もバス停になっていて人の往来も多かったので、おばあちゃんがフラッと「ここなに?」って入ってくるような環境でした。入り口もガラス張りで、意識的にオープンスタジオとかを行わなくても人がやってくるので、「広報誌を作る時間はこの日の何時です。」みたいな告知だけしておいて、一緒にやりたい人はフラッと来て一緒に作る、というように様々な人と関わることができていました。でも今の拠点は京島とは少し文化圏が変わるんですよね。それでいて住宅街の奥まった、道路のどんつきの場所にある。前までの拠点と違って目的がある人しか来ないので、以前よりも集客という意味では大変な面も出てきました。でも、それが今の僕らの活動としては丁度よくて…、というのも京島エリアでは日々、様々なイベントが起こっていてワチャワチャしているところがあった。移転してそうした状況から身を引いたことで、自分たちの活動を落ち着いてできる環境になりました。そうなったことで、よりファンファンの活動のテーマに近しいネットワークの人たちと繋がれるようになりました。

Q.ファンファンの活動にはどのようなテーマがあるのですか?
最初からテーマがはっきりと決まっていたわけではないのですが、なんとなく「福祉」と「アート」みたいなものはこっそり潜ませていました。2019年に「sheep studio」で行ったファンファンの拠点開きのイベントの際も、実は福祉関係の書籍が並べてありました。また、2020年にオル太というグループが墨田区に1ヶ月間滞在してリサーチと展示を行った際にも、僕からの話題提供として墨田区で盛んに行われていた「セツルメント運動」というイギリス源流の地域福祉の歴史についての話をして、オル太もその内容を深掘りしてリサーチをしてくれていました。(展覧会「超衆芸術スタンドプレー 夜明けから夜明けまで」)僕自身もそうですし、墨田区の歴史の中でも「福祉」というキーワードはずっと続いていたのかなと思います。特に最近は墨田の福祉施設の方と一緒に企画を行うことが増えたこともあり、僕の中でも一層社会福祉への関心が高まり、今年度から大学にも通い始めたので、より「福祉」というキーワードがファンファンの活動の表に出てきたのではないかと思います。

Q.ファンファンの活動の中での「藝と」の役割はなんでしょうか?
以前、足立のアートプロジェクト「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」で拠点「仲町の家」を運営している吉田武司さんと拠点についてのディスカッションをしたときがあって、「仲町の家」はギャラリーのような、作品の発表の場として維持している場所になっていました。(Knock!! 拠点を訪ねて-芸術文化の場をひらくひと-|仲町の家(吉田武司)×藝とスタジオ(青木彬))一方で僕らの拠点は、発表を行うためというよりも自分たちの事務所、表現をするための準備を行うアトリエになっています。同じ拠点でも[ショーケース]と[アトリエ]という違う性質を持った場所になっていて、「『藝と』はみんなで話し合ったり、活動を行って考えを深めていくのに適した場所だよね。」ということを言われて「確かに。」と思いました。これまでファンファンは福祉施設とか空いてた工場とか、まちの中をショーケースにしていたんですよね。これはオル太と展示をやったときにも話したことですけど、まちのあちこちで活動を続けていって10年後くらいにもう一度全ての作品を再展示したら、まちの中で芸術祭ができるね、なんてことも考えていました。

―「藝とスタジオ」をアトリエに、まちをショーケースとして活動するファンファン。「福祉」と「アート」をテーマに続く彼らの活動が周りにどのような変化をもたらしていくのか、10年後の墨田区の姿が楽しみです。

 

青木彬(インディペンデント・キュレーター)|一般社団法人藝とディレクター。一般社団法人ニューマチヅクリシャ理事。1989年東京都生まれ。東京都立大学インダストリアルアートコース卒業。アートを「よりよく生きるための術」と捉え、アーティストや企業、自治体と協働して様々なアートプロジェクトを企画している。これまでの主な活動にまちを学びの場に見立てる「ファンタジア!ファンタジア!─生き方がかたちになったまち─」(東京都、東京アートポイント計画、2018年~)ディレクターなど。


藝とスタジオ|東京都墨田区東向島5-23-3
(詳細は「ファンタジア!ファンタジア! ―生き方がかたちになったまち―」の公式WEBサイトをご確認ください。)

Interviewee : Akira AOKI
Interviewer : ACKT
text : Ryo ANDO
photo : Kensuke KATO

CAST|Vol.03 金田涼子

ACKTでは、まちなかで新しい動きを作る人やそこに参加する人を[CAST]と呼びます。そんなCASTのさまざまな活動をピックアップし紹介する連載。第3回目はACKTの行うプログラムの一つである「Kunitachi Art Center」の企画に携わり、「◯ZINE ACKT02」の表紙を担当した作家、金田涼子さんにお話を伺いました。

Q.ご自身の活動について教えてください。
普段はペインターとして、お世話になっているギャラリーや所属先などを通じて、個展やグループ展、アートフェアなどで作品を発表しています。また「199X」という90年代生まれのキャラクター表現の作家を集めたグループ展を2012年から毎年キュレーションしています。

Q.なぜ、現在の作風になったのですか?
絵柄についてはよく聞かれていたのですが、私は小さい頃からアニメ・漫画・ゲームなどに触れてきていて、絵を描き始めたきっかけも漫画やアニメのイラストからでした。美大に入り、作家活動をしようかというのが見え始めて作品制作を考えたときに、自分の生まれ持っている漫画的表現という所と、元々日本美術、浮世絵や日本画もすごく好きだったので、日本画などの平面的な表現と今のキャラクター表現を掛け合わせることにより、なにか自分の一つの絵画になるのではないかと思いました。絵柄は現代的な表現を入れつつ、大きい作品は、日本画独特のパースであったりとか空間を分ける技法みたいなものを取り入れたりして絵画を制作していますね。

Q.自然のモチーフが多いことにも理由があるのでしょうか?
昔の人が山や海とか、大きいものを見て神様の存在…、目に見えない、認知できないものを感じる、という思想がすごく好きでした。コロナ前には実際に各地を訪れて、宗教としてではなく、その土地に根付いた昔からの伝承など、見聞きしたものをテーマに描いたりしていました。目に見えない大きな存在を人々が恐れたときに神様として、自分たちと同じ人のカタチに例えて名前をつけることがあります。そうして伝承していたものを自分のキャラクター表現を通して描くといった感じですね。

Q.昔から伝承に興味があったのですか?
そこまで意識してはいなかったのですが、私は実家が茨城の田舎で自然が当たり前にある環境で育ちました。大学の卒業制作で大枠のテーマを考えたときに、地元の絵を描いたんですよね。その時に、地元から離れていたことで今まで意識してなかった土地の固有の文化があったんだということに気がついて、そこからすごく興味を持ちました。それからは制作のために色々な場所へ行くことも多くなりました。

Q.金田さんは周囲から自身へ向けられる評価などについて、どのように捉えているのでしょうか?
活動初期は美術大学を卒業してキャラクターを描くということが珍しく、当時は「なんでこの作風で絵画を描くのか」みたいなことを聞かれることがすごく多かったです。活動を始めて5年くらい経ってからはキャラクターを描いた作品がギャラリーに飾ってあっても違和感を感じる方が減ってきた印象があり、表現の形としてこういうものがあるということを普通に捉えた上で作品を見てくれるようになりました。近年はポップアートが盛んなこともあって、画風がきっかけとなり興味を持って見てくれる人も多いですね。

Q.最後に今後の展望などを教えてください。
活動する国は増やしていきたいなと思います。現在は国内やアジア圏での活動が多いのですが、アメリカやヨーロッパなどでも展示できたらいいなと思います。一つの国にしぼらずさまざまな場所に拠点を置くことで、活動を途絶えることなく続けていけるかなという気持ちもありますし、純粋に作家として様々な国で作品を見てもらいたい思いもあって近年の目標になっています。

-古来より人々が日々の営みの中で伝承してきた自然への考え方と金田さん自身がその手で触れ、慣れ親しんできた日本カルチャー。その両方を融和し昇華したものが金田さん自身の表現となっているのですね。作品に込められた想いの一端を感じることができました。

 

金田涼子(美術家)|1991年茨城県生まれ。横浜美術大学卒業。神や自然現象など人知を超えた存在を大小様々な女の子たちを描くことにより表現している。近年では日本の土着的な文化や日常的な気配などをテーマとした作品を多く制作。主な個展として「雪月風花」宝龍美術館(上海、2023年)、「from beyond the sea」ARTTRIO(シンガポール、2023年)などがある。2012年から同時代のキャラクター表現を模索する試みとして「199X」を主催している。

Interviewee : Ryoko KANETA
Interviewer : ACKT
text : Ryo ANDO
photo : Ryo ANDO

谷保天満宮「宵宮」 リサーチレポート

ACKTの活動地域である国立市には、1,000年以上の歴史を持つ日本最古の天満宮、谷保天満宮があります。そんな谷保天満宮で毎年開催される谷保天満宮例大祭の宵宮(よいのみや)にて、執り行われる神事「古式獅子舞」は国立市の無形民族文化財となっています。
ACKTでは国立市についての知見を深めるリサーチ活動の一環として宵宮へ訪問し、古式獅子舞の見学を行いました。

今回のリサーチには、ACKTメンバーの他にもメールニュースで募集した6名の参加者が同行。
見学に際して、郷土文化や芸術についての研究を行っている、くにたち郷土文化館の学芸員 安齋順子さんに制作いただいた古式獅子舞の資料に目を通してから、実際の神事を見学しました。
そんなリサーチ活動の様子をお届けします。

|町内ごとの個性が光る 獅子舞宵宮参り
宵宮参りの様子

宵宮が行われたのは2023年9月23日(土)。
午後7時、今回のリサーチ活動の参加者がACKTの活動拠点「さえき洋品●(てん)」に集合しました。
集まったメンバーにリサーチの説明を行い、さっそく全員で谷保天満宮へ向かいます。

「宵宮」が開催される谷保天満宮は「さえき洋品●」から徒歩6分ほどの距離。目と鼻の先にあります。
あいにくこの日は小雨が降っていたため神事の開催が危ぶまれましたが、ACKTが谷保天(やぼてん)に到着してしばらくすると神事の一つ「獅子舞宵宮参り」が始まりました。
宵宮参りは、提灯を持った氏子(うじこ)が高張提灯・金棒を持った人を先導にして天満宮の本殿の周りを時計回りに三周するという内容です。谷保天の周辺に住む氏子の人々が地区ごとに列を為し、境内を進んでいきます。
氏子とは、自分の住む土地を守るとされる氏神に仕え、神社の手伝いなどを行う方々のことですが、宵宮参り中には氏子によるさまざまな掛け声が発せられており、その勢いと空気感には圧倒されました。同じ氏子でも地区ごとに掛け声や行進に個性があり、鑑賞しているだけでも気持ちの盛り上がる体験でした。

|伝統を繋ぐ古式獅子舞

古式獅子舞の様子

宵宮参りが終わり、いよいよ古式獅子舞が執り行われます。
本来は屋外に作られた特製の土俵の上で繰り広げられる古式獅子舞ですが、この日は昼から降り続いた雨により土俵を使用できなかったため、建物内で行われることとなりました。
舞台に上がるのは、一方が小頭、もう一方が大頭と呼ばれる2匹の雄獅子と、1匹の雌獅子。そして天狗とばか(道化)です。ばかの人数は年により違うそうですが、今年は2人でした。
谷保天満宮の宵宮では「雌獅子隠し」という舞を基にした類型を中心に行われます。
その内容は2匹の雄獅子が1匹の雌獅子を取り合い、争うというものです。2匹が争っている最中には2人のばかが雄獅子の争いを冷やかしに現れ、それを天狗が追い返すなどの場面があり、最終的には雄獅子の争いに決着がつきます。

私は実際に古式獅子舞を目にしたのはこの日が初めてだったため、どのように行われるのか全く想像がついていませんでした。舞が始まり、舞子の後ろで囃子に混じり座る解説者が解説を始めるまで舞の中にストーリーがあることもよくわかっていませんでしたが、登場人物たちの関係性が把握できると舞の内容がより伝わってきて、舞子の一つ一つの所作にも意味を感じられとても面白かったです。

現在、谷保天で行われている古式獅子舞は1966年に発足された「谷保天満宮獅子舞保存会」の方々が執り行っているのですが、舞子になる人は初め雌獅子の役から参加し、その後小頭、大頭の役を4〜5年ほど勤めるのだそう。舞子の役目を終えたあとは新たに舞子を勤める人の指導役となり、指導する舞子が大頭役を勤め終わるまで先生を続けます。ちょっとした師弟関係のようですね。
このような伝承活動がしっかりと行われているからこそ、1,000年以上続く神事として現在も私たちが目にすることができているのだと思うと、伝え残していくことの大切さを実感します。

今回のリサーチ活動は、国立市の歴史に触れ、地域の方々の谷保天満宮やまちの歴史を継承していくことへの想いに理解を深める時間となったのではないかと思います。

text : Ryo Ando
photo : Kensuke Kato

上映会『ラジオ下神白 ― あのとき あのまちの音楽から いまここへ』 レポート

アートプロジェクト「ACKT(アクト/アートセンタークニタチ)」は2021年度からスタートし、国立市内外で様々な企画を展開しています。
2023年7月2日(日)、国立市にある公共施設「矢川プラス」にて、既存の枠組みに捉われないまちなかでの活動やアートプロジェクト、文化や芸術の可能性に触れるラーニングプログラムとして、映画『ラジオ下神白(しもかじろ)―あのとき あのまちの音楽から いまここへ』(監督・撮影・編集:小森はるか/2023年/70分)の上映会を開催しました。

実際にアートプロジェクトを展開してきた文化活動家・アサダワタルさんをゲストに迎え、福島県いわき市の復興公営住宅でのプロジェクトの様子を収めた映画の鑑賞後、アフタートークとしてアサダさんが登壇し、映画と同時期に制作された音楽作品『福島ソングスケイプ』にも触れながら、プロジェクトの進め方や考え方についての知見を共有しました。

|映像と音楽でプロジェクトを追体験する
最初にACKTの説明とアサダさんの紹介が行われ、上映会がスタートしました。
映画では、2011年に起こった東京電力福島第一原子力発電所事故によって避難してきた方々が暮らす、福島県復興公営住宅・下神白団地を舞台に、2016年より行われているアートプロジェクト「ラジオ下神白 あのときあのまちの音楽からいまここへ」(以下、「ラジオ下神白」)の様子が描かれています。

上映中の様子

もともと「ラジオ下神白」はアーツカウンシル東京が行う被災地支援事業「Art Support Tohoku-Tokyo(ASTT)」の一環として開始したものでした。
ラジオといっても実際に電波に乗せて放送を行なっているわけではなく、下神白団地の住民の方々にまちの思い出と馴染み深い曲「メモリーソング」について話を聞き、それをラジオ番組風のCDとして編集し、団地内限定で200世帯へ一軒一軒届ける、というのがプロジェクトの内容です。ときには再生機器を持っていない方にラジカセを貸し出して聴いてもらうこともあったそうです。
劇中では住民の方々との対話や音楽を通して、心を通わせていくアサダさんやプロジェクトメンバーの姿が描かれていました。
「ラジオ下神白」の活動を3年ほど続ける中、2019年の7月に結成されたのが「伴奏型支援バンド(BSB)」。
同年12月に行われるクリスマス会にて下神白団地の住民の方々が歌うメモリーソングのバック演奏をするため、公募により集まった関東に住むメンバーで結成されたバンドです。団地に住む方々に向けて行われているプロジェクトではありますが、下神白団地から遠く離れた地でバンドが結成され、全く関係性のなかった人々につながりが生まれるというのはアートプロジェクトならではかもしれませんね。
アサダさん達の地道な活動の成果もあり、12月のクリスマス会では、それまで一度も集会所に来たことのない住民の方も足を運び、多くの方々で会を楽しまれたそうです。
その後はコロナ禍の影響もあり、なかなか下神白団地に行けない日が続いたそうですが、そんな中でもオンラインで住民の方々との交流を続け、「メモリーソング」のミュージックビデオの制作やオンライン報奏会の開催など、アサダさん達と住民の方々の交流は今も緩やかに続いています。

|キーワードは伴走(奏)
上映後のアフタートークでは、冒頭でも紹介したプロジェクトディレクターのアサダワタルさんとアーツカウンシル東京のプログラムオフィサーとして「ラジオ下神白」のプロジェクトに携わっていた佐藤李青さんが登壇しました。
アフタートークの様子

アフタートークの中では、なぜラジオというメディアを利用したプロジェクトを行うことになったのか、理由が語られました。
アサダさんが下神白団地でのプロジェクトの話を持ちかけられたのは団地ができてから2年目のこと。下神白団地では「ラジオ下神白」以前にも、復興支援活動としてお祭りや集会所を利用した住民の方々の交流イベントは行われていましたが、自分から集会所に顔を出すのが難しい人や人の多いところが苦手な人、家から出ることができない人など、住民の中にはイベントを開催しても参加できない方がいたそうでうす。今までのような方法では住民一人ひとりと向き合うことができない、という課題が見え始めていました。復興支援としても、イベント型のものから住民の方々の生活に寄り添った活動へと移行するタイミングなのではないか、という話があったことから、アサダさんたちが考えたのが「ラジオ下神白」でした。

一人ひとりと向き合い、寄り添い、活動を行う「ラジオ下神白」のプロジェクトには、バンドの名前にも入っているように「伴走(奏)」というキーワードがあるように思います。
伴走とはマラソンなどで走者の近くで一緒に走ることをいいますが、アサダさん達の活動からはまさに音楽を軸に住民の方々の隣に立ち、一緒に歩みを進めていくような伴走の姿勢を感じました。
そのような姿勢で活動を続けた結果として、「伴奏型支援バンド(BSB)」の結成やオリジナルのミュージックビデオ制作など、おそらくメンバーもプロジェクト開始当時は想像していなかったような展開につながっていったのではないかと思います。
最後にアサダさんが下神白団地のみなさんとともに制作されたCD『福島ソングスケイプ』に耳を傾けながら、上映会は終了しました。

|それぞれの立場の人の言葉を翻訳する
上映会終了後にはACKTの活動への意見交換会として、アサダさんやACKTメンバー、国立市役所の職員、市民の方々を交えたトークセッションが行われました。
トークセッションの様子

トークセッションでは「ラジオ下神白」やACKTの活動だけでなく、アートプロジェクト全体について、参加者から様々なお話を伺うことができました。

「自分の住んでいるまちだけど、文化的な活動に参加していくイメージが湧かない」
「市から発信されるイベントなどの情報は、自分から探しに行かないと受け取ることができない」
意見交換を進める中で、こんな言葉が参加者から上がりました。
意見をくださった方のみならず、自分の生活の中で「文化に関わる」ということがイメージできない人は世の中に大勢いるのではないかと思います。
情報を発信する側は、一度その事実まで立ち戻って、活動の広め方や情報を届けたい相手が誰なのか、などを再考する必要があるのではないか、とアサダさんは言います。
例えば兵庫県伊丹市にある市立劇場では、劇場でのイベント情報を広く市民の方へ受け取ってもらうために、それまで劇場でのイベント情報のみを淡々と掲載していた広報誌をまちの居酒屋などへ取材した内容などを一緒に掲載するなど、市民の生活に寄り添った情報を積極的に取り入れた内容へと大幅にリニューアルしたそうです。
まちの情報を入れることにより、施設からの一方的な発信ではなく、取材した相手やそのお店に通う人などと人と人同士のつながりが生まれ、文化的な活動がより身近なものとして感じられるようになったことで劇場へ足を運ぶ人も増えたようです。
この劇場の例と同じく、アートプロジェクトも関わっていない人からすると、自分の生活と結びつかなかったり、そもそもどんな活動を行っているのか想像がつかないことで、自分自身がそこへ関わっていくイメージができない部分が多いと思います。
少しでもイメージのできなさ、分からなさという部分をなくしていくのが、情報を広く届ける鍵なのかもしれません。

どのまちでも、現場で実際に動いている人と行政(政策の領域)には距離を感じる、という話も上がりました。
そういった課題に対しては、どちらの立場にも属さず、それぞれの立場の人たちの言葉を翻訳する人が必要になってくる。アートプロジェクトであれば、うまく混ぜ合わせてアプローチしていくことができるのではないか、とアサダさんは語っていました。

「ラジオ下神白」のプロジェクトを起点に、アートプロジェクトを通じてまちとどのように関わっていくのか、さまざまな意見交換を行い、トークセッションは終了しました。

今回のラーニングプログラムでは、福島県いわき市で行われた「ラジオ下神白 あのときあのまちの音楽からいまここへ」の事例を映像と音楽、トークで紐解きながら、アートプロジェクトへの理解を深めていく時間を来場者の方々と共有することができました。

text : Ryo Ando
photo : Kensuke Kato

まちとアートが距離を縮めた20年間(後編)|Breaker Project

前編はこちら:まちとアートが距離を縮めた20年間(前編)|Breaker Project
中編はこちら:まちとアートが距離を縮めた20年間(中編)|Breaker Project

人と社会とアートがつながる、2つの拠点。

「Breaker Project(ブレーカープロジェクト)」のコンセプトには、「市民一人ひとりが多様な価値観を獲得し、それぞれの想像力、創造力を育み、成熟した市民社会が形成されていくことをめざしています」とあります。

 

アートを鑑賞するだけでなく、一人ひとりが芸術や社会の参加者となれる現場とはどのようなものか、ACKTメンバーは「まちとアートが距離を縮める」様子をさらに探るべく、Breaker Projectの拠点の一つへと足を運びました。

 

向かった先は、堺筋線・御堂筋線「動物園前」駅から徒歩3分の「kioku手芸館『たんす』」。空き店舗になっていた元「鈴木タンス店」を、ボランティアスタッフの協力も得ながら大掃除を経て、今は編み物や裁縫などものづくりを軸にした創造の場であり、地域の女性たちが集う場所に。オリジナルファッションブランド「NISHINARI YOSHIO」の制作や販売の場所にもなっています。

photo:草本利枝

 

kioku手芸館「たんす」立ち上げのきっかけは、Breaker Projectの活動の中で生まれた一つのプロジェクトでした。

「地元のデイケアセンターの社会福祉士の方との出会いがあり、私たちのやっていることにとても興味を持って関わってくれるようになったこと、またデイケアセンターには私たちがこれまで出会えてない高齢の人たちがいることに気付いたことが次の新たなプロジェクトにつながっていきました。それが呉夏枝(OH Haji)さんと始めたリサーチとしてのワークショップです。呉さんは、高齢女性の『語られなかった記憶』『言葉にできない記憶』を探求するアーティストで、この施設をつなぐことで何か面白いことが生まれるのではないかという予感からお声がけしました」(雨森)

2012年から呉夏枝さんとともにはじめたワークショップ『編み物をほどく/ほぐす』では、まずは地域の人から「着なくなったニット」を収集。集まったものは、「いつ頃買った・編んだものか/どういう時に身につけていたか」などをそれぞれヒアリングして「記録カード」に残し、ほどいていく作業をそのデイケアセンターで行っていました。みんなでニットをほどき、お湯を沸かした蒸気の上で伸ばして糸に戻していく作業を通して、女性たちの話に耳をかた向ける場となっていったようです。そこから、この作業を施設の中だけではなく、さらにオープンな場でより多くの女性たちと出会っていこうと、kioku手芸館「たんす」が開設されました。

「たんす」を拠点にしたプロジェクトはその後も続き、2016年からは美術家の西尾美也(にしお・よしなり)さんによるプロジェクトが始動。「衣服」の固定概念を崩すことを目的としたワークショップが約一年を通して実施されました。そのプロセスを経て立ち上がったのが、西成発のファッションブランド「NISHINARI YOSHIO(ニシナリヨシオ ※NISHIO YOSHINARIのアナグラム)」です。たんすに集まる女性たちの自由な発想やアレンジ、西尾さんのイメージとの予期せぬズレを面白がりながら生まれたアイデアは、ファッションブランド「NISHINARI YOSHIO(ニシナリヨシオ ※NISHIO YOSHINARIのアナグラム)」コンセプトへとつながっていきました。

 

「西尾さんとたんすに集まるおばちゃんたち(地域の女性たち)の共同制作によるファッションブランドを立ち上げることになって、それまでのワークショップを通して生まれてきた相互のやりとり(おばちゃんたちによる予想を裏切るアレンジや発想の飛躍、西尾さんが考えるイメージとの齟齬など)、予期せぬズレが面白いってことで一つのキーワードになっていきました。第一弾のコレクションでは、『思いやりをデザインする』をコンセプトに、参加する5人の女性たちそれぞれが身近な知人をイメージしながらその人のためのデザインを考え、ワークジャケット(作業着)のプロトタイプを制作。パート先の焼き鳥屋さんの奥さんの腕をカバーするようにデザインされた『焼き鳥ジャケット』や会うたびに違うバッグを持っている知人の旦那さんをイメージした『カバンジャケット』、『自分のために作るわぁ』とデザインされた『自分ジャケット』などなど。女性たちによってつくられたプロトタイプを元に商品化し発表したコレクション第一弾はほぼ完売。その後も、生地を変えたり、マイナーチェンジもしながら、現在も制作・販売しているのと、第二弾ではパンツも発表しました。現在、3つのプロトタイプを元に商品化したものがショップで販売中です」(雨森)

photo:草本利枝

女性たちが集い、語らいながら創作活動を行う「たんす」は、2018年度より一般社団法人 brk collective[ブレコ]が引き継ぎ、地域に根ざした「創造の場」として継続して運営しています。「NISHINARI YOSHIO」だけでなく、女性たちの手作業によるオリジナル商品も人気。余り布や糸から生まれた小物やアクセサリーは、眺めているだけで女性たちの創作意欲や活気が伝わってきます。

ACKTメンバーが次に向かったのは、阪堺線「今船」駅から徒歩2分の「旧今宮小学校」。2015年3月に廃校になる前の年には、運動場できむらとしろうじんじんさんの「野点+いまみや妄想ひろば その1」を開催するなど、ここを拠点とした地域のつながりを作り始めていました。

「廃校になる前から地域とのつながりを作り始め、地域の人と一緒に学校での活動を始めたことによって、廃校後の使用がスムーズにいきました。その過程で、体育倉庫に眠っていた陶芸窯との出会いもあり、作業を軸とした場をつくっていくというプロジェクトにつながっていきます。2015年4月以降、じんじんのいう『ええ風景』を拠り所に、誰もが立ち寄りたくなる場所をつくっていこうと実験がスタートしました。現在7年継続して毎月1回か2回のオープンできましたが、まだまだ実験途中という状況です」(雨森)

廃校後も引き続きじんじんさんや集まった人たちと魅力的な作業を生み出すべく、作業場@旧今宮小学の実験を重ねています。西成の土を使ってつくる焼き物、廃材を使った木工作業や積み木づくり、学習園を活用した畑など、「あるもの」を活かした様々な活動が生まれていきました。

 

元小学校ならではの光景が、体育館を活用した「西成・子どもオーケストラ」です。「西成・子どもオーケストラ」は、2012年に大友良英さんを招いてスタートし、近隣の児童館や小学校などで即興オーケストラのワークショップを行っていました。演奏経験や上手い・下手は問わずに、指揮者の簡単な指示に従って思いおもいに音を出しながらアンサンブルをつくっていくというものです。現在は、さや(日本のポップユニット「テニスコーツ」)さんや関西在住のミュージシャンと共に、作業場がオープンする日に体育館で音の場をつくる実験に取り組んでいます。

 

アートプロジェクトを続けることで、効果として見えてきたものは、個々の潜在能力が湧き起こるという意味の「エンパワメント」だと感じました。日常の中でアートに触れる、そのための拠点がまちにあることで、誰でもアートの鑑賞者になり表現者になれる。想像力と創造力が育まれ続ける西成でどのような変化が起こっていくのか、これからも楽しみです。

 

「西成・子どもオーケストラ」2017年3月の公開ワークショップ記録映像はこちらhttps://www.youtube.com/watch?v=pobA2bziM0A&t=10s

 

Interviewee : Breaker Project https://breakerproject.net/
Interviewer : ACKT
text : Yu Kato photo : Yuki Akaba

 

まちとアートが距離を縮めた20年間(中編)|Breaker Project

前編はこちら:まちとアートが距離を縮めた20年間(前編)|Breaker Project

誰でも参加できるアートプロジェクトで、まちの魅力を再発見しよう!

2003年から現在まで、「Breaker Project(ブレーカープロジェクト)」の活動拠点を地図上にポイントすると、初期は新世界エリア、徐々に南下して西成の方に広がっていることがわかります。

まちを巻き込み、人とつながり、アートを身近に感じてもらう。その拠点を広げるきっかけを作るプロジェクトの一つが、陶芸が専門分野のアーティスト、きむらとしろうじんじんさんの野点(のだて)です。

まちなかにある路上や空き地などの場所に、メイクと衣装でドレスアップをしたじんじんさんが陶芸窯や素焼き茶碗を積んだリヤカーを引いて現れ、お客さんは茶碗に絵付けをし、その場で焼き上げて最後にみんなでお茶を飲む、という一連のプロジェクト。

告知を見てやってくる人だけでなく、通りすがりの人、地元の人も立ち寄ってもらおうと考えられた野点は、実は緻密な準備と地元の人との関係性の上に成り立っているそうです。

「じんじんは、野点の前に“お散歩会”と称して、地元の人や外の人と一緒にまちを歩き、いろんな視点から場所を発見したりその地域に住んでいる人と出会ったり話したりしながら、開催する場所を決めていくプロセスを重視しています。『人の情けにすがってしか、野点は成立しない』。じんじんはそう話していますよ」(雨森)

「動物園前商店街から路地に入ってすぐのところにあいりん地区のほど近くにある米店さんの向かいに、じんじんが気になる空き地があったんですが、そのすぐ近くに々が“立ちしょんべん”をしているフェンスがありました。フェンスの周辺には野点にぴったりな場所が広がっていたものの、事務局はなかなかそこで開催する決断ができませんでした。けれども、2007年に米店の主人がそこに植物を植え始めたことで様子が変わり、ようやく開催に至ります。

「米店のご主人には、『他にもっといい場所があるやろ』と言われました。私たちの目線からはすごく魅力に感じる場所も、地元の人は魅力を感じておらず、そうおっしゃる方は多いんです。でも、『普段使われていなくても、魅力的な場所はたくさんあると思います。この活動でそんな場所をたくさん見つけていきたいんです』と熱心にお話して、実現に至りました」(雨森)

当日はお客さんがたくさん訪れて、閑散とした雰囲気が一変して明るいものになりました。米店のご主人も喜んで、朝から現場を訪れてお客さんとの交流を楽しんでいたそうです。


さらに、地元の人とのこんなエピソードも。

「野点の準備中に通りがかったおじさんが、ずっと興味深そうに立ち止まって様子を伺っていて。野点をめざしてきていた女性や家族づれが多いなか、参加するには抵抗あったと思うんですが、一歩踏み出してお茶碗を選んで絵付けを始めたんです。周りのことは気にせず一心不乱に絵付けに打ち込むおじさんの姿に、感動を覚えるほどでした。」(雨森)

アーティストと事務局がサポートし合い、ともに地域に溶け込んでいく。

「これまでの活動を振り返ってみて、Breaker Project、「サイトスペシフィック」「参加型」「フィールドワーク」「連携」というキーワードがあり、特徴とも言えると思います。」(雨森)

「サイトスペシフィック」とは、その場所の特性を活かした作品とその制作過程を表す言葉。例えば、新世界の空き店舗を再築する「まちが劇場準備中」では、プロジェクトメンバーと事務局メンバーみんなで大掃除をするところからスタートし、掃除をしながら近所の人たちと何度も挨拶を交わしたことで、信頼関係が育まれていきました。

「参加型」「フィールドワーク」「連携」も、地域に暮らす人やもの、場所を巻き込んでいくことを表します。Breaker Projectの事務局は、アーティストが地域に入り、時間をかけて制作に取り組むプロセスの中で、地域の人との関わりが生まれるようなマネジメントを行っています。

ゆるやかな変化が生まれ、50年後、100年後に結果が見えてくる。

「『西成は怖いまち?』と、よく聞かれます。実際に、どこかで麻薬の売買が行われているし、やくざの事務所もある、それは怖いところかな。でも、住んでいて酔っ払ったおっちゃんに怖い思いをさせられたことは、私はないです。酔って話しかけてくる人がいる、道端で寝てる人がいる、そういうことに慣れていないうちは怖い印象があるだろうなと思います」(雨森)

地域にはそれぞれの特徴や文化があり、文化が違えば戸惑ったり「怖い」と感じることもあります。雨森さんもまた、西成に暮らすほかの人々と同じように、まちに慣れ親しんでいるのです。

「日雇い労働者のまち、治安が悪い。そういう印象から、西成在住・出身であることを恥ずかしいと思っている人もいると思います。そんな中で、米店のおじさんが野点を通してまちを見る目が変わったように、アートプロジェクトを通してマイナスの印象がプラスに変わった瞬間を目にすることは多くあります」(雨森)

西成でアートプロジェクトを続けてきた20年間。まちに変化はあったのでしょうか。

「アートプロジェクトがまちにもたらすものは、一人ひとりの小さな変化かもしれません。地域課題を直接解決したり、数字で測れる効果があったり、そういうものではないけれど、例えばコミュニケーションが苦手な子どもが、数時間の楽器の演奏ワークショップの中で見違えるほど表情が豊かになって、イキイキと話しはじめる、そういうエピソードはたくさんあります。まちにアートプロジェクトがあって良かったかどうかは、数字よりもまちの人の声に現れます」(雨森)

まちの特徴や文化は、そこに暮らす人が作っていきます。まちで暮らしている子どもが大人になったときに、このまちを出て行ってしまうのか、それとも、このまちで得た経験が記憶に残り、新しい動きや変化をもたらす存在になっていくのか。その変化は、長い時間を経ることで、初めて見えてきます。

「私が生きている間は、変化は見られない。でも、ゆるやかに変わっている。そのくらい長い目で見ながら続けていかないと意味がない。芸術文化とは、そういうものじゃないかなと思います」(雨森)

Interviewee : Breaker Project https://breakerproject.net/
Interviewer : ACKT
text : Yu Kato photo : Yuki Akaba

後編はこちら:

CAST|Vol.01 加藤健介

ACKTでは、まちなかで新しい動きを作る人やそこに参加する人を【CAST】と呼びます。そんなCASTのさまざまな活動をピックアップしご紹介します。Vol.01ではACKTのメンバーでもある加藤健介さんが普段どのような活動を行っているのか、まちづくりの仕事や国立本店のことを中心にお話を伺いました。
加藤さんは、国立市を拠点とし、地域に密着したまちづくりを行う「合同会社三画舎」の運営や、本とまちをテーマにした「ほんとまち編集室」の室長として国立本店の運営を行っています。これまでの活動やまちづくりに対する思いなどを教えていただきました。

Q.主な活動内容を教えてください。
三画舎では、まちづくりに関わる計画づくりやワークショップの企画運営、10分圏内の暮らしを大切にする求人メディア「国立人」の運営、国立市発行の「国立新書」の企画・編集・デザインなど、まちに関わる様々な業務を行っています。富士見通りでは”シェアするコンビニ”をテーマに、仲間と共に新たなプロジェクトを進めています。

Q.国立で活動を始めたきっかけはありますか?
きっかけは国立本店です。9年前、知人に誘われてイベントに参加したことをきっかけに知り、仕事以外に自分が活動を行うコミュニティとしてちょうどいいと思い、メンバーになりました。当時は世田谷区に住んでいたのですが、様々なイベントやプロジェクトに関わる中で、国立のまちや人に対して居心地の良さを感じるようになり、5年前に国立に引っ越してきました。
その頃から自分の住んでいるまちということもあり、国立での仕事が増えていったように思います。

Q.国立本店はどんな場所なんですか?
元々は中央線デザイン倶楽部(現在は中央線デザインネットワーク)という中央線沿いで活動をしている建築家やデザイナーの人たちが自分たちの活動拠点として作ったのが始まりでした。当初は今と違い、2年ごとに店長が変わるシステムで運営されていました。7年目に入るタイミングで、「ほんとまち編集室」という本とまちをテーマに活動する、30人くらいのメンバーが運営する場としてシステムが一新されました。メンバーが1年ごとに徐々に入れ替わっていく仕組みになっていて、2022年9月から11期目に入ります。僕自身は2期目から参加して、その後代表を引き継ぐことになりました。メンバーになると、自分の好きな本や紹介したい本を置いておける“ほんの団地”という棚を持つことができ、それぞれがいろいろな本を持ち寄るので、国立本店は多種多様な本が集まる小さな図書館のようになっています。最近はこのようなスペースを見かけることも多くなりましたが、はじまった当時はまだ珍しく、わりと先駆け的な場所だったのではないかと思います。


Q.国立本店ではどんな活動をしているんですか?
国立本店自体は、週5日13:00-18:00の間はスペースを開放していて誰でも好きなように過ごすことのできる空間になっています。ほんとまち編集室のメンバーは、月に1度、日替わりで国立本店の店番をするのですが、それ以外の活動は基本的に自由としていますし、ゆるやかさを大切にしています。積極的にイベントを行ってもいいし、店番をしているだけでもいい。国立本店がメンバー個々の活動の入口になればいいと思っています。例えば、読書会を開く、自宅で焙煎したコーヒーを振る舞う、気になる人をゲストに呼んでトークイベントをする、地域と連携した活動をするなどなど。本とまちというコンセプトはメンバーで共有しながら、あえて明確な目的は設定せず、メンバーそれぞれがやりたいことを実現することに重きを置いています。

Q.国立本店のメンバーにはどんな人がいるんでしょうか?
1年ごとにメンバーが徐々に入れ替わる体制を取っているので、年によって毎回違ったメンバーが活動をしています。このシステムになってから10年になりますが、長く活動を続けていると「実は4年前から知っていたけど、入るなら今だと思って来ました」「前から気になっていたけど、仕事をやめて時間があるから入ってみようと思いました」といった人が結構多くて。人によってやってみたいと思うタイミングはそれぞれ違うんだなと…。国立本店みたいなコミュニティやプロジェクトは、例えば3年など短期間で区切られて終わってしまうことが多いイメージがありますが、あえて長く活動を続けることで、入りたいタイミングで入ることができる、その時々のメンバーによって印象が全く違う、そんなふうに循環していくのが面白いのかなと最近では思っています。僕自身もこの場所をなるべく長く維持し続けながら、その時々で関わってくれる人と活動をしていけるといいなと思っています。

Q.室長として心がけていることはありますか?
先にも言った通りゆるやかな運営方針なので、僕は代表ではありますが、メンバーとはできるだけフラットな関係でいられるように心がけています。ですが、何かをしたいと思う人がいたときにはその動きをサポートできるように動いたり、全体の活動が停滞してしまう時期などは自分が積極的に動いたり、常に0.2歩くらい、ほんの少しみんなの前にいるようにしています。国立本店の全体のトーンが常に変わらないようにしたいと思っています。

Q.加藤さんから見て、国立はどんなまちですか?
国立市は文教地区に指定されていますが、最近は段々と文化的なものが失われてきているのではないかと思っています。国立駅側は特に、昔からあるお店がなくなったところにコンビニやチェーンの飲食店などが入り、普通のまちになってきている印象があります。もちろん昔ながらのお店や雰囲気がずっと残っていけば良いわけではなく、自分や周りの若い世代の人たちがこのまちのこれからを考え共有していくことは大切ではないかと感じています。新しい文教地区のあり方、新しい国立市のあり方を考えていかなければいけないということです。その中で、ACKTの活動もそうですし、自身が運営している合同会社三画舎や、情報発信などをお手伝いしている国立市のクラフトビール“くにぶる”、富士見台団地にある建築家・能作淳平さんが運営されているシェア商店“富士見台トンネル“、一橋大学を卒業してスナックを継承した坂根千里さんの“スナック水中“、新たに取り組むシェアするコンビニ”みんなのコンビニ”など、国立の若い世代でさまざまな活動を行っている人が増えてきていて、そういった一つひとつの活動が全体のまちづくりに繋がっていくのではないかと。このような活動がもっと増えていくと、今までとは違った国立のカルチャーが見えてくるのではないかと思っています。

Q.もともとまちづくりに興味があったのですか?
昔は自分の住んでるまちに全く興味がなかったんです。大学も、何かものづくりに携わりたいと思い、建築学科に入りました。ですが、下北沢の再開発を端に開催された、国際学生ワークショップに大学4年次に参加したことや、所属していた研究室での沖縄合宿、岡山県高梁市での研究などをきっかけに、建物からまちへと興味の幅が少しずつ広がっていくことになりました。

Q.仕事以外で取り組んでいることはありますか?
最近はあまり仕事とプライベートの境界がなくなってきていますね。そもそもあんまり分けたいとも考えていなくて、プライベートで行った場所でも仕事に結びつくことがあるかもしれないし、仕事で出会った人とも友達として関係がずっと続くこともあるし…。
少し話は変わりますが、お金は稼ぐことは意識していきたいと思っています。というのも、まちづくりというとボランタリーなイメージを持たれることが多いように思うんです。でも実際にそういう活動ができるのは、ある程度お金などに余裕のあった前の世代の人たちの考えのような気がしていて…。同じような考えで僕も仕事を続けてしまうと、さらに下の世代の人たちもそれを踏襲しなければいけなくなる。それってどんどんみんながジリ貧になっていってしまうことになるのではないかと。そうならないように、お金もちゃんと稼げて、まちづくりにも貢献できる、そんな仕組みづくりをしていく必要があると思っています。その辺りを意識しながらも、どんなことでも楽しんで取り組んでいきたいですね。

Q.最後に今後の活動について教えてください。
これからの20〜30代が、この地域をベッドタウンとしてだけではなく、活躍できるまちとして当たり前に選んでくれるようにしていきたいです。難しいけど、都心でも地方でもなく、この地域を選ぶ人を増やしたい。その為に、自分自身も外の空気に触れ、知見を増やし、新しいチャレンジをしていくことが大切だと考えています。先の”シェアするコンビニ”や、真鶴駅前に借りた旧病院物件の活用もその一部です。ACKTの活動も。5年後、10年後に想像もつかないような変化が生まれていると嬉しいです。

 

加藤健介|(一般社団法人ACKT理事)2018年9月に「合同会社三画舎」を設立。東京都国立市を拠点に、これまで地域で営まれてきた歴史・文化と、これから先の人の想いを大切にするまちづくりを実践中。求人サイト「国立人」の運営、国立市発行「国立新書」の編集・デザイン、連続講座「こくぶんじカレッジ」の企画運営など、まちに目を向けるきっかけづくりに力を入れている。能作淳平氏、佐竹雄太氏とまちのチャレンジを応援する「みんなのコンビニ」を富士見通りで計画中。国立本店「ほんとまち編集室」室長。

Interviewee :Kensuke Kato
Interviewer : ACKT
text : Ryo Ando
photo : Ryo Ando,Yu Kato

まちとアートが距離を縮めた20年間(前編)|Breaker Project

東京都国立市内外の方とともに活動(ACT)し、まちとともに成長するさまざまなプラットフォームを育てることを目的とした団体である「一般社団法人ACKT」が、各地で実践されている文化芸術活動の担い手や活動、仕組み等について「場づくり」「体制」「アートプロジェクト」等の観点からリサーチ取材を行い、レポートにまとめました。

今回は、アートプログラム「Breaker Project」の取り組みを、全3回にわたりご紹介します。

大阪といえば思い浮かぶシンボル、通天閣。そこから南側に広がる西成(にしなり)エリアは“日本最大のドヤ街”とも呼ばれ、日雇い労働者向けの“ドヤ”という安宿や居酒屋が軒を連ねる、古くから労働者が集まる街として知られています。

高度経済成長期に生まれて今も続いているその風景は、西成ならではの文化としてYoutubeなどで話題になり、バックパッカーや外国人観光客が多数訪れるようになりました。

国内外から人が集まる一方で、地元の人々が静かに暮らす住宅街でもある西成。多様な側面を持つ西成のまちには、20年前からアートを取り入れた新しい動きが生まれていました。その動きは、西成の人、もの、場所を、ゆるやかに巻き込み続けています。

「芸術と社会を近づけたい」という想いから生まれたプロジェクト。

大阪・西成に拠点を置く「Breaker Project(ブレーカープロジェクト)」は、芸術と社会をつないでいくことを目的に活動する地域密着型のアートプロジェクトです。

その成り立ちは、さかのぼること20年前。通天閣の近くに、遊園地と商業施設が合体した伝説の娯楽施設「フェスティバルゲート」がまだ存在していた2002年、大阪市とNPOが協働する文化芸術施策として「アーツパーク事業」が生まれました。

Breaker Projectのディレクター、雨森信(アメノモリ・ノブ)さんは、アーツパーク事業に関わるNPO法人「記録と表現とメディアのための組織[remo]」のメンバーの一人でもありました。

「私は芸術大学の出身で、学生時代は“作る側”でした。作ることは楽しかったけれど、現代美術はあまりにも社会と切り離されている、と違和感を持つようになっていきました。展覧会に訪れるのはアート関係者がほとんどで…作品は売れるわけでもなく、大学に戻ってくる。そういった状況を見ながら、もっと社会と関わることがしたいと思うようになりました」(雨森)

現代美術と聞くと、どこか難解で自分たちの暮らしとかけ離れているように感じる人もいます。けれども、まちの人々が日常の中で現代美術に触れることは、新しい視点や価値観を広げるきっかけになるのではないかと、雨森さんは考えました。

Qenji Yoshida《来日》、会場の一つとなったカラオケ居酒屋ももえの展示風景、2022、
TRA-TRAVEL [Co-mirroring コ・ミラーリング] – 共にうつしあう-  / Breaker Project 2020-2021

 

「現代美術には、多様な視点から社会を批評的に見ていく要素が盛り込まれています。普段の忙しい生活から少し離れて、自分たちの暮らしや社会について考えたり、未来の社会を想像・創造していくためには、芸術文化は欠かせないものです。特に現代の美術は、現在を起点にしているわけですから、分かりにくいこともありますが、何か通じる部分もあるはずだと考えています。リアルな社会の中に、アートの側から接続していくための一つの方法として、まちの中で活動していくことを考えるようになっていきました」(雨森)

雨森さんは、既に社会と関わりながら活動していたアーティストたちと展開するプロジェクトを構想し、「芸術と社会をつなげる」現場としてBreaker Projectを企画。アーツパーク事業の市民還元事業という枠組みでスタートすることになりました。

作家とともにまちへ出かけるフィールドワークで、地域とのつながりが生まれはじめた。

Breaker Project発足1年目の2003年に行われた活動の一つが、造形作家の伊達伸明さんによるプロジェクトでした。

「伊達さんが2000年より取り組んでいる『建築物ウクレレ化保存計画』は、取り壊される建築物の記憶を持ち主に聞き取りながら、生活の痕跡が色濃く残る部分や特徴的なパーツを使ってウクレレを作るというプロジェクトです。ただ、特定のエリアでのプロジェクトとなった時、取り壊し物件を探すというのは地上げ屋みたいになるから(笑)、新世界の建物の記憶を取材しようということになって、半年以上かけて60軒の建物の聞き取りを行っていきました。その中で、取り壊し物件とも出会ってウクレレも2本制作しています」(雨森)

地域の人の個々の記憶を聞き取ることに重点を置いて進めていった結果、地域とのつながりが生まれていったといいます。また、もしウクレレを作るならということで、取材したそれぞれの建物の特徴的な部分を写真に撮って「絵札」を、取材時のエピソードから抽出された「読札」を60組作り、「新世界ウクレレかるた」が完成しました。

2年目となる2004年には、古くなったモノや空間に「色」を塗ることで再生させるアーティスト、Franck Bragigand(フランク・ブラギガンド)さんを招聘し、大阪に残る最後の路面電車「阪堺電車」の駅と車両をペイントするプロジェクトも行われました。

「1〜2年目の駆け出しの時期に、既にリアルな社会とダイレクトに関わりながら活動しているアーティストとプロジェクトに取り組めたことは、私たちにとっても大きな学びになっています。『新世界ウクレレかるた』ができるまでのフィールドワークでは、新世界エリアのお店やお家を訪ねて回り、もちろん断られることもあったけど、それをきっかけに新世界の人たちの関係性が少しずつ出来ていきました」(雨森)

作家とともにまちへ出かけるフィールドワークは、アートプロジェクトの第一歩として非常に有効で、有意義なものになるそうです。Breaker Projectの最初の2年間の活動は、地域の人々との距離がぐっと縮まるものになりました。

 

「まちとアートが距離を縮めた20年間(中編)」に続く

Interviewee : Breaker Project https://breakerproject.net/
Interviewer : ACKT
text : Yu Kato photo : Yuki Akaba

遊◯地|URBANING_U ONLINE レポート3

前編はこちら:遊◯地|URBANING_U ONLINE レポート1
中編はこちら:遊◯地|URBANING_U ONLINE レポート2


「URBANING_U ONLINE」最後のプログラムとして、DAY2の後半に、mi-ri meterの宮口明子、笠置秀紀両名と、一般社団法人ACKTの丸山、加藤によるオープンミーティングを行いました。

———

笠置|mi-ri meter
2日間のこれまでのプログラム、お疲れさまでした。
まず、簡単にACKTの活動について教えてください。

丸山|ACKT
ACKT(アクト/アートセンタークニタチ)は、東京都と国立市、公益財団法人くにたち文化・スポーツ振興財団、アーツカウンシル東京、そして一般社団法人ACKTの5団体が協定を結んで動かす、アートプロジェクトのプラットフォームです。国立市の中で文化行政的な役割をアートプロジェクトとして担っていくようなプロジェクトの運営やそれに関係していくような活動ができないか、ということを考えて行っています。
一般社団法人ACKTは、この実働のために立ち上げた法人で、僕と加藤の2人が中心となって行っています。今回のURBANING U ONLINEのプログラムも、ACKTが事業の一環として主催、運営しています。

笠置
お二人のバックグラウンドについても教えてもらえますか?

丸山
僕自身はもともとグラフィックデザインを中心に仕事をしていました。現在はギャラリー兼ショップの運営や企画やディレクション、あと千葉市美術館という公立の美術館のミュージアムショップの運営なども行っています。その仕事の中で、アーツカウンシルと関わることもあり、今回こういう団体を立ち上げた、という感じです。

加藤|ACKT
僕は、まちづくりに関連したコンサルタント業務やデザインを主に取り組んでいます。仕事ではありませんが、国立市内で、「国立本店」という30人程度で運営する本とまちをテーマにした、サードプレイスのような場の運営も行っています。2人も自身の会社を国立市で持ちながら、一般社団法人ACKTを立ち上げています。

つまらないまち

笠置
今回行ったURBANING_Uは、普段見えないもの、無意識の感覚のようなものが顕在化するプログラムだと思っていて、プログラムを通じて、国立市の文化的な層の厚さも見えた気がしています。実際に国立市の「文化度」のようなものはあるんでしょうか。

加藤
国立市は、北側にJR国立駅を起点に広がる学園都市エリアがあり、一橋大学のメインキャンパスや桐朋学園、都立の国立高校などの有名校があります。その南側には富士見台という団地が東西に連なるエリアがあり、さらにJR南武線や甲州街道よりも南側には、古くからある谷保天満宮や田畑の広がる谷保エリアがあります。8.15㎢という小さな面積の中に、すごく分かりやすい時代のグラデーションがあるのが特徴です。
一般的に国立市といえば、学園都市エリアを思い浮かべる方が多く、昔から「文化的」と言われるのもこのエリアだと思いますが、谷保エリアは昔からの伝統があるし、地域を知らない新住民も増えている中で、何をもって「文化度」というのか、尺度が分かりづらいかもしれません。

笠置
そうなんですね。谷保は、結構住んでみたいと思うエリアです。学園都市エリアは元々は別荘地として開発された場所で、上質な学園都市であるというブランドイメージがしっかりある。
宮口さんは、このプロジェクトの視察でまちを歩いた時の印象はどうでしたか?

宮口|mi-ri meter
学園都市エリアをちょっと回ったんですけど、一番最初は「つまらないまちだな」と感じました。と言うのも、すごくおとなしいというか、何も周りに滲み出していないお行儀の良いまちみたいな印象があって。あまり人の営みや気配みたいなものが感じられなくて、ちょっとさみしいな、つまらないな、というのが印象でしたね。

笠置
でも、国立市から参加してくれた皆さんのURBANING Uの活動を見てからは、どうでした?

宮口
皆さんの活動を見て、私は国立市の一部分しか見ていなかったんだなと思いました。生活の気配が滲み出ているような場所を見つけている人もいたし、3つのエリアで全然違う文化が混在しているという意味でも興味深かったです。

笠置
計画的にキレイに作られた街でいうと田園調布とかもイメージが近いですね。国立市は街の骨格が非常に優れているから、同様のフレームを感じますが、実際に歩いてみると全然違う景色が見えて来るのは面白かったですね。

丸山
mi-ri meterの2人が最初に歩いたのは、JR国立駅南口の大学通りの界隈で、意図的に生み出されたザ・都市計画なエリア。90年くらいしか歴史がない場所なんです。例えば道は、人間の生活や営みの中で自然発生的に生まれていくものなので、その背景が想像できたりします。ただ国立市は、元々雑木林だったところにいきなり街をつくったから、歴史的な背景が読み込めない。宮口さんの「つまらない」という感想は、そういうところから出てきているのかなと思いました。
一方で、国立市には大きい公園がないので、市民は緑地帯の広がる大学通りや一橋大学の構内などを、公園の代わりとして使っています。公道のすぐそばの緑地帯で比較的自由に散歩している人や遊んでいる人やお花見をしている人がいたり、楽器の練習をしている人がいたりする。割と自由で開放的な、何をやっても許されるような雰囲気もあるのかなと思います。

国立の人 

笠置
そっか。僕は国立市って、マンションの建設で運動があったり、まちを大事に思う人たちがいるイメージがあったんですけど、一方で屋外で音楽を演奏する人がいて、それに対しての寛容性もあるというのは、全然知らなかったです。住んでいる人だからこそ見えてくる、「ゆるさ」みたいなものがあるのかな。
また、国立には面白い人が多いイメージがあるんですけど、住んでいる人に関してはどうですか? 

丸山
どういうレイヤーの人と普段接しているのかにもよると思うけど、結構色んな人がいるな、とは思いますね。国立や立川、八王子などは、都心で働いている人がいわゆるベッドタウンとして住んでいることはもちろん多いですし、加藤や僕もそうですけど、自分で事業を行う個人事業主とか会社を持っている人なども、比較的多いと思います。また、中央線沿いは元々、ヒッピーカルチャーが強いんですよ。国分寺や高円寺から流れてきたヒッピーカルチャーが国立にも結構根ざして活動をしている人もいます。本当に多様な人が住んでいるイメージがありますね。

加藤
あと、市民の自治意識が高いというか、時には自治体を差し置いて、市民の方々が自分のまちのことを考えて行動しているケースも多い。分かりやすい分野では、子育てや高齢者のケアなど。自分たちのまちを「自分ごと」にするための活動がかなり活発に行われているのは、国立市民の一つの大きな特徴なのかもしれません。

国立にかぶさるベール 

笠置
まちのイメージは外から見ると、メディアとかニュースとか、そういうものによる印象に隠れている気がします。例えばマンションを売る、不動産を売る、という時に、その商品のイメージはベールを被っていて、それが色んなことを複雑化している気がする。多分、同じ中央線沿いの吉祥寺もそうで、「住みたい街No.1」を謳っていて、あらぬイメージにどんどん覆われてくるところがある。僕は街を歩いていて、そういうイメージが非常に気持ち悪いなと思っています。

加藤
確かに今、国立のいわゆるハイソな感じは、ブランドイメージとして強いなと思います。国立駅の北側ってすぐに国分寺市なんですけど、マンションの名前をみると「〇〇国立」としてるものが多いんです。それは、国立のイメージをつけると売れるっていうのが大きいからだろうけど……ある程度このまちに住んでいる身からすると、必ずしも「ハイソ」な印象ばかりではないし、むしろもっと本質的な、ベールの裏側の部分を広げていきたいなという気持ちが強くなっています。ではどうすれば広げられるか? そういう視点を持つことが大切だと思ってます。

笠置
今の話に近い話を最近知ったんですけど、ブランドでその土地を選んだ人よりも、しょうがなくそこに住み始めた人の方が幸福度が高いらしいんです。ただ一方で、ブランドでその土地を選んだ人も住み続けているうちに、その土地の真の姿などに触れていくと意識が変わっていくんじゃないかなとも思います。

宮口
イメージ先行だと、一番そのまちのハードルが上がっている状態だから、あとは下がっちゃうってことだよね。しょうがなく住み始めた人はそんなに期待してなかったけど、住むうちに良いまちだなと思い始める。その差だなんじゃないかな。

笠置
うん、それはあるかもしれない。

丸山
僕は国立に住み始めた頃は国立駅の近くに住んでいたんですけど、谷保に興味を持って、古い商店街の方に引っ越しました。そこに住み始めた最初の頃、その商店街に何十年も住んでいる中華料理屋さんの人に「どこから来たの?」って聞かれたので、以前は国立駅に住んでいたと伝えたら、「なんでこんなところに引っ越してきたの?」とすごい言われて。僕は住むなら谷保の方が面白いと思って選んだんですけど、昔から住んでいる人たちは、必ずしもそこに住みたくて住み始めたわけじゃないみたいなんですよね。多摩地域では、東京の都心部と多摩地域のギャップがあって「多摩格差」みたいな謎の言葉が生まれてもいますが、それと同じようなギャップや情報の格差など、色んな差が国立市の南と北でもあるのだと実感した機会でした。

笠置
谷保と同じような、都心部から少し離れた自治体に住んでいる人の話しを聞くと「ここは何もない場所だから」ということをよく言うんだけど、実はその土地の幸せなモノをよく知っていたりする。そういう魅力は、もう少し見つけられたら良いなと思いますね。国立も谷保の魅力を掘り返してみたら、すごく面白そう。

宮口
参加者の感想でも、自分の地元は雪が多くて嫌いだったけど、URBANING_Uに参加してこれまでと違う視点でまちを見直すことで、愛情が湧いた、違う視点で見れたと言ってたよね。谷保エリアでURBANING_Uをやっても面白いかもしれない。

笠置
うん、良いかもしれないね。ちなみに加藤さんはどこ出身なんですか?

加藤
生まれは名古屋で、育ちは神奈川県伊勢原市です。一人暮らしを始めてからは、大田区の雪が谷大塚や、世田谷区の千歳船橋にいました。

公共性のありか 

笠置
国立に引っ越してきて、どうでした?

加藤
当時は自分以外の人が運営していた「国立本店」の活動に参加したことが、そもそも国立市にきたきっかけだったんですけど、それをきっかけに短期間で色んな人と知り合うことができて、知り合いが増えるとまちの見方も変わってきて。国立の良いところも微妙なところにも気づけていけたのは面白かったです。

笠置
生活者の視点に加えて、まちづくりの視点ではどう捉えてますか?

加藤
国立駅前に「旧国立駅舎」建物があります。15年ほど前までは現役の駅舎だったもので、中央線の高架化に伴って解体が議論されたそうですが、同時に駅舎の保存運動の動きも大きくなったそうです。解体はされたけど、使われていた部材を丁寧に保存しておき、市民や企業などから集まった多額の寄付(ふるさと納税)も活用して、昨年、おおよそ元の位置に再建され、まちの情報発信拠点として開業しました。
この話自体は本当にすごいことです。一方で、僕を含めた外から来た人間や若い世代は、そのプロセスの当事者ではないので、大なり小なり距離がある。新しいシンボルとして存在していくのだから、ノスタルジー以上の可能性に目を向ける必要はあるんじゃないかと思っています。そしてこれは、旧国立駅舎に限らず、まち全体に言えることなんじゃないかと。次世代の交わる公共性は何だろうかと思います。

笠置
確かに、旧国立駅舎は、市民のシンボルのような呼ばれ方もしてますよね。「シビックプライド」と言われるものなんですが、市民にとっての心の拠り所になっている。だけど、一部の市民だけの所有物になっていくと良くない。もう少し、通勤してこのまちに来ている人や、通学してきている学生などもつながれるような公共性があったほうが良い。そういった声がまちのつくられ方にも反映されていくと良いですね。また、まちづくりが都市計画のためだけではなくて、もっと商業者や、生業を持っている人が入りやすくなると良い。

5人の関わりしろをつくるアートプロジェクト 

笠置
話題を少し変えて、アートプロジェクトにはどんな役割があるのか、ということも、もう少し深掘りしたいな。

丸山
基本的に僕はデザイン出身なのですが、デザインの仕事でアーティストと関わることや、アーティスト・コレクティブのようなゆるいつながりでアーティストと関わることも多くあります。そのようにアーティストと深く関わるようになって感じるようになったのは、デザインとはものごとの進め方が違うということでした。デザインでいうまちづくりのあり方は、合理性が高く、答えを求めたがるもの。経済合理性や、最大公約数的な幸せのあり方などが求められることが多くて、ある程度想像ができてしまうまちづくりになってしまいがちです。
一方でアートプロジェクトでは、答えが出ないようなもの、答えが出るまでに期間が長くかかってしまうもの、ともすれば答えの出ないようなものも多い。でも、ある人にはすごく刺ささることや、個人が強く思うことなどを、プログラムとして社会の中に実装していくことができる。
自分自身もデザイナーとしての経験があるからこそ、ACKTでは最初から答えを求めるような取り組みはしたくないと思っています。ACKTは東京都や国立市と協定を結んで進めている取り組みですが、明確なゴール設定がないという前提を受け止めてもらいながら進めていくことができれば、お互いに豊かな経験になるのかなとは思っています。 

笠置
今、アート思考と呼ばれるものがビジネスの現場で有用である、みたいなことが言われているけど、それって突き詰めていくと結局デザインになってしまうと思うんです。非線形のような、何が起こるかわからない今の世の中にあって、答えにならないようなことを、柔軟に永遠に考え続けられるシステムみたいなものがアートなのかなとは思います。

丸山
デザインって、モダンデザインの文脈から入っているものが基本的に多いと思うんです。だから、システマチックなもの、合理主義なものが必然的に多くなっているんですが、、それだけだと解決できないことが増えてきているという印象はあります。

笠置
行政は年度単位で結果を出さないといけないから、アートプロジェクトを進めるにもどうやって辻褄を合わせていくのかは考えないといけないことだと思います。多くの地域で実際に苦労していることだと思うけど、どう考えていますか? 

加藤
国立市でのアートプロジェクトは先例があって、英国のアーティスト、ルーク・ジェラムによるストリートピアノをテーマとした「Play Me, I’m Yours」が、文化・スポーツ振興財団主催で2018年に開催されました(くにたちアートビエンナーレ2018の一環で実施)。プログラムの使用権を購入して実現したものです。地域の方から10台のピアノを寄付していただき、それを10組のアーティストが装飾し、2週間程度、まちの中に置いておくというプログラムです。その間の2週間は街に音楽が溢れて、自主的にバイオリンを持ってくる人が出たり、ピアノと共に歌う人がいたり。多くの地域の方々が街の活動に参加している、自分たちがまちを作っているという雰囲気が出ていました。当時を知る国立市民の頭には「またあの企画をやってほしい」という記憶が刻まれていると思います。

丸山
「Play Me, I’m Yours」は僕が一般社団法人ACKTとは別でやっている会社で企画運営を担当したので、国立市の中ですごく評判が良かったことを知っています。このアートプロジェクトをやったことで、当たり前だけど国立市の子育ての問題が解決したわけでもないし、社会的な問題が直接的に解決したわけでもないんです。でも、このプロジェクトに関わった人たちの中で何かが変わったりとか、街の中でこういうことができるんだっていうことで何か意識が変わったりとか、そういう息の長いものになる可能性があるのだなと実感は持てました。ただ、それを行政がどう「評価」するのか。
今年度、加藤と一緒にいくつか他の地域の事例リサーチに行って、そこでアートプロジェクトの運営をしている人たちにインタビューをしてきました。アートプロジェクトの「評価」に対して、同じようなことを言っている人たちが多かったのが印象的です。例えば「このプロジェクトの本当の効果が出るのは20〜30年後です。だから、この場所でしかやらないです」という話がありました。場所を変えてやるとどうなるんですか? と聞いてみたら、「そうすると成果が出ない」「分かりづらくなるからやらない」そうです。道筋も違えば、到達点も違うものの「評価」って、やっぱり難しいですよね。

笠置
これまでの行政の政策では国立市の7万人を救えるサービスをつくれない中で、アートプロジェクトはもしかしたら、5人救えるかどうか。でも、アートに触れると確実に救われる人はいて、ただめちゃめちゃ効率は悪い。笑 でもそれが面白いことでもあるんだよね。
例えば、図書館で救われてる人って何人いるんだろうとか、そういうことを考えていくと、非常に文化や人間のメンタルなどを支えるにはコストがかかるんだなと感じます。社会福祉もそうだと思うんだけど。その辺りをアートプロジェクトなどで救えるといいなと思いますね。

丸山
URBANING_Uのエクササイズプログラムを通した体験と同じで、僕らがやっているACKTも、「アクトしていく」「アクションする」「動いていく」といったイメージがあります。僕ら自身はもちろん動いているんですけど、これから国立市の中でさまざまなプロジェクトを行っていく中で、関わってくれる人とつながって、またその人たちが僕らとは全然違うプロジェクトなどを立ち上げて、また広がって……そういう「関わりしろ」を増やしていきたいと考えています。
今話している高架下臨時スタジオは、JRの高架下にある広い空き空間を借りて行ってます。「遊◯地(ゆうえんち)」と名付けた取り組みの一環としてやってるんですけど、遊休地になっている場所を、アートプロジェクトを介して活用していけないかなと思っていて。「遊◯地」に何らか関わってくれる人を、僕らはCAST(キャスト)って呼んでいこうと思っていて、そのCASTの皆さんとこれから色々なプロジェクトをしていきたいなと思っています。 

笠置
色々な可能性がその◯の中に代入されるってことですよね。「遊◯地」、いい名前だなと思います。
エズラ・パウンドっていう詩人がいて、その人が「芸術は人類のアンテナである」と言っていて。アンテナを張って、世の中を探って、何かを見つけてくるような役割がアートプロジェクトにはあるのかもしれません。まちがこれから新しくなっていく時に、役に立つ何かを見つけてくるような力があるのかなと思いました。
オープンミーティングにご参加いただき、ありがとうございました。

———

国立市内で参加者がWORKを行う中でも、多くの余白や可能性が見出されていました。私たちがメインの取り組みの名称を「遊◯地」としたように、まちの中でまだ見ぬ人も含め、多くの人の「◯=関わりしろ」をつくっていき、これまでとは全く違った視点でまちを見つめ直し、「アクトしていく」環境を生み出していきたいと改めて感じる機会となりました。

 

artist:mi-ri meter(ミリメーター)

宮口明子、笠置秀紀によって活動開始。建築、フィールドワーク、プロジェクトなど、ミクロな視点と横断的な戦術で都市空間や公共空間に取り組む。日常を丹念に観察し、空間と社会の様々な規範を解きほぐしながら、一人ひとりが都市に関われる「視点」や「空間」を提示している。宮口明子、笠置秀紀によって活動開始。建築、フィールドワーク、プロジェクトなど、ミクロな視点と横断的な戦術で都市空間や公共空間に取り組む。日常を丹念に観察し、空間と社会の様々な規範を解きほぐしながら、一人ひとりが都市に関われる「視点」や「空間」を提示している。

text : Kensuke Kato, Ryo Ando
photo : Yuki Akaba, Kensuke Kato

 

遊◯地|URBANING_U ONLINE レポート2

前編はこちら:遊◯地|URBANING_U ONLINE レポート1

街と対峙するエクササイズプログラム

DAY1当日、エクササイズプログラムとして、参加者は「URBANING U_KIT」を手に、それぞれの自宅またはオフィスなどを拠点として、常時Zoomミーティングに参加しながら、mi-ri meterからの指示のもと、拠点やまちなかでのワークを実施しました。以下がWORKとして出された指示の一覧です。

WORK1
普段登らない場所に登りなさい。
普段通らない場所を通りなさい。 

WORK2
あなたの定点を探しなさい。

WORK3
その定点を掃除しなさい。

WORK4
普段使っているものを定点にそっと置きなさい。

WORK5
そこに種を植えなさい。

プログラムでは、WORKごとに拠点を出発し、まちの中で指示を実行し、拠点に戻ります。その間は基本的にまちと対峙する「わたし」の時間です。雪が積もり、歩道に変化が生まれている札幌、雑居ビルが林立する新宿、繁華街が広がる神戸、周囲を木々に囲まれた大分の集落。各人の体験は、各々の記述と共に携帯端末などの動画によって共有・記録されるほか、常時「高架下臨時スタジオ」のスクリーンに映し出され、同じ指示の基、異なる環境下で、時にスタジオにいるmi-ri meterと対話しながらWORKが続いていきました。

例えば、新宿の雑居ビルを登る時、非常階段を一段ずつあがる不安感は、周囲の建物よりも高い5階以上になると、自然と消えていった。木の上に登ろうとしたら、体が重くて難しかった。花壇の上に登ったり、橋の欄干に掴まって歩いたり、普段と違う行動をとることは、周囲の視線が非常に気になる行為だと気付いた。定点とした場所を掃除したら愛着が生まれた。指示に従ってWORKを行うことで、普段は意識していない、まちと自身の関係性が浮き彫りになっていきました。

DAY2の前半はレビュートークとして5つのWORKを通して感じたことや見えてきたものについて、参加者の内の6人が、それぞれの視点からディスカッションを行いました。プログラムには、今年度から一般社団法人ACKTのスタッフになった安藤涼が国立市で現地参加をしていました。ここからはDAY1の体験や、DAY2でのディスカッションについて、安藤によるレポートをお届けします。

———–

こんにちは。ACKTの安藤です。
URBANING U ONLINE、DAY2の前半はDAY1のプログラムに参加した方々のレビュートークを行いました。今回はその時の様子を、プログラムに参加した私自身の感想も交えながらお伝えします。

「大人のテリトリー」「子供のテリトリー」

今回のプログラムはオンラインで行われたため、全国から参加者が集まりました。札幌から1名、東京からは開催拠点である国立から2名、小金井から1名、新宿から2名、神戸から1名、大分から1名の計8名が参加したプログラムとなりました。それぞれ違う場所からの参加でしたがDAY1の振り返りを行う中で「子供の頃を思い出した。」という共通のワードが上がってきました。

私自身も[WORK2 あなたの定点を探しなさい。]の「地図を見ずに、感覚で街を彷徨いなさい。」という指示に従い、街の中で落ち着けるポイントを探して歩いている時に、小学生の頃に家の近所で秘密基地になる場所を探して歩き回っていたことを思い出しました。当時は、街中を路地の奥まで探検してみたり、草が生え放題の空き地に飛び込んで行ったり、使われていない空き家に侵入したりしていました。

そういえば、成長するにつれて路地裏などの道以外にはあまり目がいかなくなった気がします。そんな大人と子供の違いを参加者の1人が「テリトリー」というワードで説明していました。

国立から参加したAさんは「家の近所に大きな木があり、よく小学生がその木に登って携帯ゲームをしている」という話をされました。今回のWORKの中で自分もその木に登ってみようとチャレンジしたところ、体重や体力などの関係で全く登れなかったそうです。街の中には物理的に子供だけしか行けない場所も存在する、ということですね。

このように街には、「大人のテリトリー」「子供のテリトリー」そして「動物のテリトリー」があるという話になりました。それぞれ街を歩くときの目線や視点、目的が違うのでそこから見えてくるものも結果的に違ってくるということなのかな、と話を聞きながら考えていました。

テリトリーの話題の中でもう一つ面白かったのが「自分」と「他人」のテリトリーの境界についてです。その話をしてくれたのは、新宿から参加したHさんです。

Hさんは[WORK1 普段登らない場所に登りなさい。普段通らない場所を通りなさい。]の中で、雑居ビルの非常階段を登ってみたそうですが、「普段であれば絶対にこんな事はできなかった、今回のプログラムの中で『WORK を行う』という設定を与えられたことで行動することができた。」と言っていました。確かに、私自身もプログラムに参加している、与えられた役を演じている、というある種の言い訳があったからこそ、普段は行けないような場所に行くことができたのかなと思いました。

また、Hさんは「今回行けた場所には今後も平気で行けるようになった、自分のテリトリーが広がった。」とも話してくれました。他人のテリトリーだと思って踏み込めなかった場所も一度行ってしまえば、意外と平気だったな。という気持ちになることってありますよね。案外、自分のテリトリーを狭めてしまっているのは、自分自身の気持ちの問題だけなのかもしれません。

1人で見る景色、2人だから見える景色

札幌から参加したMさんは雪が積もる中、1本の木を定点としてWORKを行っていました。

[WORK3 その定点を掃除しなさい。]では、木のそばに置いてあったスコップを使い、周りの除雪を行なったそうです。「1人で除雪をしていたので、そばの道路から続くように道を作るくらいしかできなか った。もし2人とかでやっていたら道を作るだけでなく、もっと大胆なことができたと思う。」と話していました。私もこのプログラムに参加している時、何も悪いことをしているわけではないのに周りの人の目が気になって行動を躊躇う場面があり、自分で思っているよりも普段から人の目を気にして生きているのだなということを強く感じました。

「1人」「2人」というキーワードが出てきましたが、プログラム参加者の中には同伴者と参加した方もいました。

神戸から参加していたHさんは、小さなお子さんと一緒にWORKを行い、自分と子供の感じ方の違いを楽しく体験していたようでした。私がHさんのお話のなかで興味深かったのは、[WORK1]の際、子供が凹凸の多い家の塀にしがみついて登ろうとしているところを、通りすがりの人が「頑張れ~」と応援してくれた、というものです。大人がやっていたら 100%不審に思われるような行動ですが、子供が同じことをすると、怪しまれないどころか応援される行動に変化するというのは面白い気づきでした。対象が大人か子供かによって観察者の捉え方が変わってしまうのは、無意識に見た目で人を判断してしまっているということかもしれません。

また、大分から飼い犬と共に参加していたFさんは、犬の自由な行動を観察するのが面白かったそうです。突然川の中に飛び込んだり、本能のままに行動する姿は、人と一緒に行動するのとはまた違った面白さがあるでしょうね。Fさんも真似して川の水を触ってみたら、想像よりも温かかったそうです。そういった自分1人では見つけられなかった発見ができるのも、2人で行動する醍醐味かもしれません。1人だからこそ感じられることもあれば、 2人いるから見える景色もある、今回のプログラムに参加して改めて気付かされました。

パブリック空間と自分

自分の定点を決める時に参加者に共通していたのが、「座れる場所」を基準に探していたということです。公共空間で自分がくつろげる場所を見つけようとすると、座って落ち着きたいという気持ちが出てくるのでしょうか? 参加者の話しを聞いていると「座れる」というワードと共に、体の一部を「隠したい」というワードも出てきました。新宿のHさんは、定点を人通りの多い道の植え込みのような場所にしていました。「人通りが多い中で靴を脱いでくつろいだりするのは恥ずかしかったけど、座ると足元が隠れるので少し安心できた」そうです。そういえば、普段の生活の中でも、電車の端っこの席に座りたいなど、体の一部を守れるような場所を探している気がします。人間は本能的に体の一部を隠せると安心できるのでしょうか?

また、[WORK4 普段使っているものを定点にそっと置きなさい。]の「まず遠くから 10 分(定点を)観察しなさい。」を行う際に、国立のAさんが「自分の定点は道路に面している場所だったので、少し離れた歩道から観察をしないといけなかった。ただ立ち止まって観察するのはすごく恥ずかしかった。」と言っていました。ただ、ガードレールに背をもたれたり、携帯を見るフリをしてみたところ、恥ずかしさが和らいだそうです。

私自身も定点を観察する際、犬の散歩をしているおばあさんからずっと訝しそうに見られてドキドキしていたので、Aさんの気持ちがとてもよく分かりました。A以外にも人通りの多いところでプログラムに参加していた人は全員、周りの視線を気にしながら活動していたのではないかと思います。

今回は URBANING U ONLINE の体験レポートをお届けしました。プログラムを行う場所はバラバラでしたが、参加者が共通した感想を持っていたり、それぞれの視点からしか見えていなかったことを共有できたことが面白かったです。私は今回のエクササイズを通して、街と自分の関わり方について考えたり、参加者同士の会話のなかで新しい発見があり、街への視野が広がった濃厚な 2 日間を過ごすことができました。また、国立で「URBANING_U」 を行う際はぜひみなさんも参加してみてください。

後編では、DAY2のプログラムの様子をレポートします。

 

artist:mi-ri meter(ミリメーター)

宮口明子、笠置秀紀によって活動開始。建築、フィールドワーク、プロジェクトなど、ミクロな視点と横断的な戦術で都市空間や公共空間に取り組む。日常を丹念に観察し、空間と社会の様々な規範を解きほぐしながら、一人ひとりが都市に関われる「視点」や「空間」を提示しいている。宮口明子、笠置秀紀によって活動開始。建築、フィールドワーク、プロジェクトなど、ミクロな視点と横断的な戦術で都市空間や公共空間に取り組む。日常を丹念に観察し、空間と社会の様々な規範を解きほぐしながら、一人ひとりが都市に関われる「視点」や「空間」を提示している。

text : Kensuke Kato, Ryo Ando 

photo : Yuki Akaba

 

遊◯地|URBANING_U ONLINE レポート1

ACKTの活動地である東京都国立市では、空き家や空き店舗、活用されていない畑、住宅街の一角にある公園、あまり使われていない公共空間などが点在しています。「遊◯地」は、そのようなまちの中で当たり前になった風景、使われていない場所などをまちの余白(◯)と見立て、本来とは全く異なるアプローチで使うことで、これまでになかった新しい光景や交流を生み出すきっかけをつくる取り組みです。

この「遊◯地」のパイロット企画として、2022年3月19日(土)、20日(日)の2日間開催した「URBANING_U ONLINE」について、全3回にわたりレポートします。

「遊◯地」の取り組みを実施するにあたり、最初に選んだ場所が、JR中央線の国立駅から立川駅の高架下空間。JR関連会社の事務所、自転車置き場や体操教室、プログラミング教室、コンビニエンスストアなどが点在しているものの、まだ具体的な活用方針を持たない、動きのない空間が多く残っています。通学や通勤などで使う人、散歩をしている人、自転車でせかせか走り抜ける人……往来がある一方で、行動の余白のない連なりとなっていることが分かります。高架下空間に何らかの可能性を見出せたら、人の動きに変化が生まれるのではないかと想像できました。

わたしとまちとの関係性を見つめ直す

この場所で最初の「遊◯地」をはじめるにあたり、声掛けをしたアーティストが、宮口明子、笠置秀紀によるユニット、mi-ri meter(ミリメーター)。日常を丹念に観察し、空間と社会の様々な規範を解きほぐしながら、一人ひとりが都市に関われる「視点」や「空間」を提示する活動を各地で行っています。

mi-ri meterと共にこの界隈のリサーチを行い、議論した結果、今回に適したプログラムとして提示されたのが「URBANING_U 都市の学校」でした。「制度や慣習によって絡みあった社会的枠組みを解きほぐし、自らの空間を取り戻す。わたしと都市の距離を縮める試み。」として、過去に数度、東京や大阪の都市で実施されたもの。mi-ri meterからの指示に沿って、まちを巡り、mi-ri meterと対話をしていく中で、参加者自身がまちとの関係性を見つめ直すプログラムです。これは私たちが国立のまちの異なる側面に気づくきっかけにもなると期待されました。

オンラインで全国とつながるURBANING_U 

私たちが実施したプログラムは「URBANING_U ONLINE」。通常の「URBANING_U」は、参加者が現地に集合し、そこを起点にまちを巡ることになりますが、コロナ禍という現状を加味し、今だからこそできることを積極的に試みるため、あえてオンラインを通じて全国で同時参加できるプログラムに変更したものです。

国立市での参加+全国参加として2週間程度の公募をかけたところ、国立市だけでなく、札幌や京都、神戸、大分など、全国各地から8名の参加が決定。参加者には事前にmi-ri meterからインビテーションとして、”WORK”の指示書やワークカード、リアルタイムで一人称視点の映像をオンラインに繋ぐためのスマートフォンを同梱した「URBANING U_KIT」を送付しました(オンライン接続には会議アプリ「Zoomミーティング」を使用)。

「URBANING_U ONLINE」は2日間のプログラムで構成。DAY1は「エクササイズプログラム」として、参加者がZoomミーティングを介したmi-ri meterからの指示にしたがってまちを巡り(WORKし)、そこで感じたことを報告・意見交換。DAY2は、DAY1の”WORK”を参加者と共に振り返る「レビュートーク」と、mi-ri meterとACKTが「国立」「アート」などをテーマにこれからを展望する「オープンミーティング」で構成することとしました。

高架下に現れた大きなテントとスクリーン

当日、JR国立駅から7分程度に位置する場所に、何かが始まりそうな予感のする大きなテントを設置。国立市で参加する方も含め、自宅やオフィスからオンラインを通じての参加となることから、特製の大きなスクリーンを設置しました。
ここを「高架下臨時スタジオ」として、mi-ri meterとスタッフが待機。mi-ri meterからの指示に従い、各地の参加者がWORKを行う様子を常時スクリーンに映しだしていきました。

中編では、DAY1のプログラムの様子をレポートします。

artist:mi-ri meter(ミリメーター)
宮口明子、笠置秀紀によって活動開始。建築、フィールドワーク、プロジェクトなど、ミクロな視点と横断的な戦術で都市空間や公共空間に取り組む。日常を丹念に観察し、空間と社会の様々な規範を解きほぐしながら、一人ひとりが都市に関われる「視点」や「空間」を提示しいている。宮口明子、笠置秀紀によって活動開始。建築、フィールドワーク、プロジェクトなど、ミクロな視点と横断的な戦術で都市空間や公共空間に取り組む。日常を丹念に観察し、空間と社会の様々な規範を解きほぐしながら、一人ひとりが都市に関われる「視点」や「空間」を提示している。

text : Kensuke Kato
photo : Yuki Akaba, Kensuke Kato

 

カフェとアートからはじまった、100年後も続くまちづくり(後編)|SANDO BY WEMON Projects / サンド バイ エモン プロジェクツ

前編はこちら:https://www.ackt.jp/report/sando_by_wemon_projects_1 ‎

本業ではないもう一つの顔に「◯◯ゑもん」とあだ名をつけて、新しい関係性が生まれるまちへ。

SANDOでいろいろなお客さんと話をする中で、本業とは別の個性的な側面が見えてくることもありました。

「僕たちが立ち上げた『ゑもんプロジェクツ / WEMON PROJECTS』では、本業とは別の個性や好きなことを持つ人を『◯◯ゑもん』と名付けました。たとえば、L PACK.の小田桐の本業はアーティストですが、SANDOではコーヒーを淹れる『コーヒーゑもん』、松ぼっくり博士の小学生なら『松ぼっくりゑもん』など」(中嶋)

それぞれのゑもんたちは、得意なことを活かしてSANDOで展示を開いたり、ゑもんプロジェクツが発行するフリーペーパー「HOT SANDO」のインタビューを受けたり、長年の知り合いの知られざる特技を「ゑもん」で知ることができたりと、本業とは異なる新しい関わりが生まれていきました。

「自分の得意や好きなことを『◯◯ゑもん』として伝えることができれば、『ゑもん』としてまちの困りごとを解決できるかもしれないし、そんな個性的な人たちがいるまちをもっと面白いと感じることができます。ゑもんプロジェクツが引き継がれていけば、100年後はさらに面白いまちになっているんじゃないかと思います」(小田桐)

SANDO」が終わっても、人のつながりは続きます。

その後、コロナ禍を経て「池上エリアリノベーションプロジェクト」は終了し、2022年1月31日をもってSANDOは閉店することになりました。

SANDOで新しく起こりはじめていたことは、これで0に戻るのでしょうか? そう尋ねるACKTメンバーに、「この3年間で知り合えた面白い人たちとのプロジェクトは、これからも続けていこうと思っています」と中嶋さん。

SANDOに通うお客さんの中には、空き物件のオーナーや、空き物件を活用したいという人もおり、3年経ってようやくゆるやかなマッチングが起こりはじめていました。

そして、なんと閉店が決まったSANDOから徒歩2分の物件とご縁があり、再びL PACK.と敷浪さんがタッグを組み、コーヒーが飲めるカウンターのあるお店にリノベーション。L PACK.の活動は、池上でも続いていくことになりました。

 

「SANDOは池上エリアリノベーションプロジェクトの一つなので、プロジェクトが終わればなくなります。でも、自分たちで始めたゑもんプロジェクツのように、終わらないこともいろいろあります。これからも、“まちづくりのため”にしたいと思うことはないけれど、自分たちがやりたいと思うことは引き続きやっていきます。アーティストの僕らも何が起こるかわからない、ただ面白いことが起こるきっかけを作り続けていきたいと思います」(中嶋)

まちの変遷とともに変わっていくものもあれば、ゆるやかに残っていくものもある。100年とはそうやって積み重ねられていく年月なのかもしれません。

Interviewee :LPACK. |WEMON Projects  https://lit.link/wemon
Interviewer : ACKT
text : Yu Kato photo : Kensuke Kato

 

カフェとアートからはじまった、100年後も続くまちづくり(前編)|SANDO BY WEMON Projects / サンド バイ エモン プロジェクツ

東京都国立市内外の方とともに活動(ACT)し、まちとともに成長するさまざまなプラットフォームを育てることを目的とした団体である「一般社団法人ACKT」が、各地で実践されている文化芸術活動の担い手や活動、仕組み等について「場づくり」「体制」「アートプロジェクト」等の観点からリサーチ取材を行い、レポートにまとめました。

今回から、アートプログラム「SANDO BY WEMON Projects / サンド バイ エモン プロジェクツ」の取り組みを、全2回にわたりご紹介します。

鎌倉時代から続く、日蓮宗の大本山「池上本門寺」。その周辺に広がる池上のまちには、商店街や住宅、そして多くの町工場があります。

2019年5月〜2022年2月、東急池上線池上駅から池上本門寺へと続く参道の入り口に、カフェ「SANDO(サンド)」がオープンしました。

コーヒーやサンドイッチ、スイーツなどを提供する、一見普通のカフェ。ですが、実は小田桐奨(おだぎり・すすむ)さんと中嶋哲矢(なかじま・てつや)さんのアーティストユニット「L PACK. / エルパック」が、立ち上げから運営、プロジェクトの推進に携わる、アートとまちづくりの拠点でもありました。

「SANDO」が開かれた3年間、まちにどのような変化が生まれ、何を残していったのでしょうか。

100年後の未来のために、即効性のないまちづくりを考えよう。

 

「SANDO」が生まれた経緯は、大田区と東急電鉄がまちづくりの協定を結んだことからはじまります。

2021年にリニューアルする池上駅を中心に、地域資源を活かしたまちづくりと地域の継続的な発展を目指す「池上エリアリノベーションプロジェクト」という大きな構想の一環として、池上駅前に「まちづくり拠点」を作る計画が立ち上がりました。

プロジェクトメンバーには、L PACK.と建築家の敷浪一哉(しきなみ・かずや)さんが加わりました。3人は、2018年にも横浜市の郊外にある旧日用品市場を改修し、日用品の販売とコーヒーが飲めるお店「DAILY SUPPLY SSS」をオープンしています。

「まちづくり拠点」ではなく「カフェ」として開くことは、L PACK.からの提案でした。

「まちづくりの拠点をまちづくりのために作っても、興味を持って訪れる人は限られてしまいます。人が集まる場を作るのなら、普段から気軽に入れる、誰に対してもフラットなカフェのような場所がいいと、プロジェクトのミーティングでお伝えしました」(小田桐)

まちづくりの課題は、空き家・空き店舗の活用や、子育て、高齢化問題など、地域によって多岐に渡り、すぐには解決できないことも多くあります。

「当時の池上では、1922年の開業から100年近く使われていた池上駅舎の建て替えや、東急電鉄の100周年も重なって、これからの100年のことを考えていこうという機運がありました。100年後にはきっと僕たちはいないし、想像もつかないように思えます。けれども今あるものを紐解くと、100年前に企画や事業が立ち上がり、続いているものもある。目先の課題解決への即効性のみを追求するのではなく、即効性はないかもしれないけれど、100年先に残したい本当に大切なものを見つけていけるといいと考えました」(中嶋)

「普通の会話」を重ねながら、まちをリサーチする。

SANDOの設計・施工はL PACK.と敷浪さんが手がけ、旧池上駅舎の木材もベンチや床材として活用。お客さんとコミュニケーションが取りやすいオープンキッチンのカフェとして、2019年5月にオープンしました。

まずは地域のリサーチを目的としていましたが、訪れる人に「リサーチに協力してもらう」というスタイルではありません。カフェにはL PACK.の2人も立ち、あくまでもスタッフとしてお客さんと接しながら、「お近くですか?」「この辺に美味しいお店あったら教えてください」といった、ごく「普通の会話」を重ねていきました。

「池上は自分たちにとっても初めての場所だったから、どんな人がいて、どんな意見が出てくるんだろう? とワクワクしました。作品と向き合うギャラリーよりも、カフェは滞在時間が長くなるし、普通の会話がしやすいですね」(中嶋)

オープンしてみると、想像以上にいろいろなお客さんが訪れました。年齢層は0歳から90代まで幅広く、近所の人をはじめ、作家やアーティスト、ミュージシャンも多く訪れる場所になっていきました。

池上は歴史のあるまちで、先祖代々の付き合いも多く、「外から中にいる自分が見えない店でくつろぎたい」というお客さんの要望から、お店の窓や戸口を外から見えないように閉じるという通例がありました。そんな中でSANDOのようなオープンスタイルのカフェは珍しく、同時に求められてもいたのです。

Interviewee :LPACK. |WEMON Projects  https://lit.link/wemon
Interviewer : ACKT
text : Yu Kato photo : Kensuke Kato

 

後編はこちら:https://www.ackt.jp/report/sando_by_wemon_projects_2

アートプログラムとまちの風景(後編)|Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]

前編はこちら:アートプログラムとまちの風景(前編)|Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]

中編はこちら:アートプログラムとまちの風景(中編)|Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]

アートとデザインのある港まちの社交場「NUCO」

「MAT, Nagoya」の空き家再生プロジェクト「WAKE UP! Project」をきっかけに、約20年空き家だった元寿司店「潮寿し(うしおすし)」を改修して生まれた、まちの社交場「UCO」。2018年にその一帯の長屋群が解体されることとなり、向かいにあった空き家を再生した新たな拠点「NUCO(ニューシーオー)」がオープンしました。

UCOの活動やコミュニティ、部材の一部を引き継ぎながら、かつて編み物教室として使われていたNUCOの建物の歴史が呼応するような改修を手がけたのは、アーティストユニット「L PACK」と建築家の米澤隆さん、大工さんや建築を学ぶ学生たち。

 現在は「何かやりたい!」という人をサポートする場所にもなっており、飲食物が提供できるカウンターキッチンや、展示・ワークショップができる2階スペースの貸し出しなどを行っています。場所を活用しているのは、港まちに暮らす大人や学生たちが中心。日々の運営や発信を手がけるのは、学生から社会人までの10人のUCOメンバーたちです。

ACKT事務局メンバーが最初に目にしたのは、1階でずらりと展示販売されたニット類。これらは全て、港まちの編み物の名手・トヨタさんが手編みをした一点物で、網目も美しく、港まちの人から譲り受けたという毛糸の色合わせも凝っています。この冬はセーターが売れ筋商品だったそう。港まちでMATが活動するようになってから、トヨタさんのニットは今や全国、そして世界へ旅立っているというので驚きました。

古民家の趣を残す2階スペースでは、愛知県立芸術大学に通う学生の作品展や、学生の陶芸作品と近所の花屋さんがコラボした活け花展示会などが行われています。毎週第2・第4金曜日には、10代や引きこもりの子たちが集います。1階から2階の一部が吹き抜けになっており、2階からは1階で大人たちがお酒を飲んでいる雰囲気が見えるなど、多世代が自然と混ざり合う場にもなっています。

UCOのロゴマークはデザイナーのフクナガコウジさんが手がけており、毎年新しくリニューアルされるそうです。メンバーから「UFOに似ているね」とも言われるUCOは、前身の旧寿司店「潮寿し」をリスペクトしているほか、“「Unidentified “C” Organism」=「未確認な “C” の有機的組織体」と定義し、CoffeeやCafe、Chair、Communicationなど、さまざまな「Cを頭文字とする言葉」にまつわる出来事をつむいでいく。”という意味もあります。

Cからはじまる単語は、アルファベットの中で最も多いそうです。2階の一角には、メンバーの日報から抜き出した「今日のCからはじまる単語」が展示されるなど、話題が尽きないほどの広がりを感じられます。傍らのミュージックプレイヤーからは、名古屋在住のミュージシャン、テライショウタさんによる「UCOの歌」が流れ、「UCOメンバーが好きな寿司ネタ」などが盛り込まれた歌詞には思わずクスリとしてしまいます。

 デザインやアートの素地があるまちの社交場では、思いもよらない自然発生的なつながりや、「トヨタさんのニット」や「UCOの歌」に見られるような、自由な解釈や新たな作品が生まれていくのかもしれません。

NCOのように、港まちには「WAKE UP! Project」から生まれたアートの拠点が点在し、空き店舗のシャッターを閉めているだけでは見られない新しい風景や価値を生み出しています。

 街角のショーウィンドウのような「スーパーギャラリー」は、閉業したスーパーマーケット「築地公設市場」の一角を改修して生まれた小さなギャラリー。中に入ることはできませんが、ウィンドーギャラリーとして通りすがりに眺めることができます。

閉業した店が空き家となり、周辺の人通りも徐々に少なくなって、まちが活気をなくしていく。そんな光景は港まちに限らず増えています。港まちの事例からは、新しいものに作り変える前に、そこにあるものを活用することで、新しい動きが生まれていく様子を窺い知ることができます。

 

Interviewee : Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya] https://www.mat-nagoya.jp/
Interviewer : ACKT
text : Yu Kato photo : Yuki Akaba 

アートプログラムとまちの風景(中編)|Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]

前編はこちら:アートプログラムとまちの風景(前編)|Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]

アートとまちづくりの拠点が、あらゆる人に開かれた場になっていくまで。

「MAT, Nagoya」が拠点を置く「Minatomachi POTLUCK BUILDING(港まちポットラック)」は、もとは10年間空きビルになっていた旧文具店でした。

ビルの改修・整備を手がけた「ミラクルファクトリー」代表の青木一将さんは、愛知県立芸術大学の彫刻科出身で、当時は大学を卒業して間もない頃でした。経験は少なかったものの、木や石などのあらゆる素材を扱った施工や鉄の溶接などができ、「あいちトリエンナーレ」でのアーティストとのコラボレーションや街中のアートプログラムの施工などで経験値を上げ、今では現代美術のインストーラーチームとして各地の美術館などを手がけています。

「1階『ラウンジスペース』は、まちづくりやアート関連の情報が閲覧できる場所で、イベント時に活用されています。2階『プロジェクト・スペース』は、まちづくりやコミュニティに関わる展示、ワークショップ、ミーティングを行う場所で、『港まち手芸部』『港まち俳句の会』などの地域団体の展示や町内会議なども行われます。3階『エキシビジョン・スペース』は、MATが企画・運営する現代美術を中心とした企画展などを行う場所です。4階はMATの母体『港まちづくり協議会』のオフィスとして使われています」(吉田)

ACKT事務局メンバーが港まちポットラックに伺った時、3階の「エキシビジョン・スペース」はオープンスタジオとして開かれており、ニットアーティスト・パフォーマーのオノ リナさん、アーティストの古橋まどかさん、アーティストの山下拓也さんがまちに滞在しながら創作活動をしている様子を見ることができました。

これは、アーティスト、デザイナー、ミュージシャンなどの表現者の制作や発表活動をサポートする「MAT, Nagoya・スタジオプロジェクト」という取り組みです。地域の人にとって、普段なかなか目にすることができないアーティストの制作現場や、滞在中に制作された作品に触れられる機会にもなっています。

「1階から3階は、誰でも自由に出入りできる場所。そこでは、アートに触れる・イベントに参加するだけでなく、地域の子どもが遊びに来たり、年配の方が『携帯電話の使い方を教えてくれないか』と聞きに来たり、近所に暮らすパキスタン出身の家族が『子どもの遊び場がない』と居場所のように通ってくれたりと、身近な公共スペースとして利用されている方もよく見かけます」(吉田)

 「アートに関心がある・ないに関わらず、いろんな人が訪れている印象です。一方で、港まちポットラックのことをまちの人みんなが知ってくれているかというと、まだまだかな、とも感じます。ここでは営利事業にあたるお店を開くことはできませんが、『お茶が飲めます』『本が読めます』といった明確な目的があれば、もっと入りやすくなるのかもしれません」(青田)

港まちポットラックは、毎週火曜日から土曜日、11時から19時に開室しています。開室時間中は誰でも立ち寄ることができ、MATや港まちづくり協議会主催の企画展やワークショップ、毎月第2土曜日には『みなと土曜市』というマーケットも開催されています。多様な取り組みがほとんど途切れることなく行われていることで、港まちに賑わいを生みながら、アートとまちづくりへの興味関心の入り口を開いています。

多様な「かかわりしろ」があることで、予想もしなかったことが起こって、広がっていくこともある。

「MATを立ち上げた当初は、『アーティストやアートのための場を作ろう』と考えていました。まちづくりの課題解決のためのアートや、まちづくりのための場ではなく、アートのための場を作っていこうという思いは今も変わりません。でも、実際蓋を開けてみたら、アートだけでは広がらない面白さをすごく感じることができたんです。アートとまちづくりは異なるものだけれど、溶け合って共存していくことができる、という実感が積み重なっていきました」(青田)

アートとまちづくりが溶け合う事例として、「MAT, Nagoya・スタジオプロジェクト」でまちに滞在したニット・アーティストの宮田明日鹿さんが、編み物が得意な港まちのおばあちゃん達と「港まち手芸部」を立ち上げたというケースがあります。作品そのものがまちを変えるわけではないけれど、アーティストが滞在することで、結果として新たなコミュニティが生まれたり、人の動きが生まれることが結果としてまちのニーズや課題解決につながったりと、ゆるやかな変化も見られるようになりました。

港まちポットラックを訪れる人の目的が多様であるように、アートプログラムや場に参加する人々の「かかわりしろ」も多様です。実際に参加者に話を聞くと、「アートプログラムだと思わず参加した」という声もあり、アートに興味がなかった人もアーティストと会話をしたり作品に触れたりする機会が増えることで、「これはこういうことを表現しているんでしょう?」といった話題が自然と出るようになるなど、アートに対する“慣れ”が出てくる人もいるそうです。

「MATのメッセージに、『アートそのものは、まちを変えるためには存在していません』と明記しています。これはMATの活動初期から問い続けていることで、異なるものだからこそ、それぞれが同居するバランスが重要だと思っています。それはアーティストや場があればすぐに実現できるというものではなく、まちの中で活動するプロセスや目的が異なる人々とのつながりを育む、優れたつなぎ手・調整役の存在が必須であるとも感じます」(吉田)

アートやアーティストがまちに溶け込むと、人がアートやまちに関わる様々な「かかわりしろ」が増えていきます。多様な人を巻き込むことは、結果としてまちづくりにもつながっていきます。まちづくりの課題ありきでなく、トップダウンでもない、ゆるやかなつながりづくり。MATの活動は、港まちにゆるやかな変化をもたらし続けています。

Interviewee : Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya] https://www.mat-nagoya.jp/
Interviewer : ACKT
text : Yu Kato photo : Yuki Akaba

 

後編はこちら:アートプログラムとまちの風景(後編)|Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]

アートプログラムとまちの風景(前編)|Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]

東京都国立市内外の方とともに活動(ACT)し、まちとともに成長するさまざまなプラットフォームを育てることを目的とした団体である「一般社団法人ACKT」が、各地で実践されている文化芸術活動の担い手や活動、仕組み等について「場づくり」「体制」「アートプロジェクト」等の観点からリサーチ取材を行い、レポートにまとめました。

初回は、アートプログラム「Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]」の取り組みを、全3回にわたりご紹介します。

貿易港として日本一大きな陸地面積を持つ「名古屋港」。そこには、どこか懐かしい商店や民家が並ぶ、港まちの風景が広がります。ちらほらと目に入る空き家、空き店舗だった場所には新たな灯がともり、新しい動きが生まれていました。

名古屋駅から電車で約20分。5階建ての旧文具店ビルを再生した「Minatomachi POTLUCK BUILDING(ポットラック)」は、まちづくりとアートのための拠点でもあり、地域の人たちが自由にゆるやかに過ごせる場にもなっています。

企画・運営を手がけるのは、「港まちづくり協議会」と同協議会を母体としたアートプログラム「Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]」。現代美術の展示やイベント、空き家を資源として活用する「WAKE UP ! PROJECT」など、様々な取り組みを展開しています。

アートの視点を取り入れたまち、まちに触れたアート、そこから広がる光景とは? プログラムディレクターの吉田有里さん、青田真也さんに話を伺いました。

 

港まちにアートを取り入れた。

「ポットラックという言葉には、ありあわせ/持ち寄り料理という意味があり、人々の知恵、問題や課題を持ち寄り、学びの共有の場としていきたいという想いを込めました。日常の中にアートやデザインなどの創造的思考を取り入れることで、人々や土地の潜在的な魅力、新たな気づきを引き出すきっかけになる場所を目指しています」(吉田)

『港まちづくり協議会』は、ポートピア名古屋という競艇場のチケット売り場の売り上げの内1%を、まちづくりのために活用する組織として、2006年に設置されました。はじめは学校や公共施設といったハードの整備に予算が使われていましたが、そのうち整備もほぼ終わり、次はソフトの整備へ。そのタイミングと、名古屋に多くのアーティストが集まる『あいちトリエンナーレ2013』が重なりました。そこで、2010年・2013年のトリエンナーレに長者町会場の担当として参加していた吉田さんとの出会いがありました。

「『港まちづくり協議会』では、2013年から2018年のまちづくりの指針を『み(ん)なとまちVISION BOOK』という冊子にまとめており、まちづくりにアートを取り入れるという指針も示されていたので、そこに基づいてアート事業を立ち上げることになりました。協議会委員のメンバーの中にはアートに理解のある方もいて、柔軟な方が集まっています」(吉田)

港まちエリアには、現代美術が盛んだった902000年代にギャラリーがいち早く存在しており、住民の中には当時の活気を知る人も。かつては港湾の倉庫をアーティストのスタジオとして貸し出す取り組みも行われており、その後も断続的にアートに関わる動きもあり、アート事業を取り入れる素地がありました。

「協議会のスタッフメンバーと話している中で、まちづくりの活動と、まちなかのアートプロジェクトは似ているようで、アウトプットや行程などの多くの部分が異なることもわかってきました。そこで、アーティストとして活動しながら企画も行っている青田真也さん、アート・マネジメントを専門とする野田智子さん(2017年まで在籍)を共同ディレクターに迎え、何かを進めていく上で噛み合わない部分があれば、何回も話し合いを重ねていきました」(吉田)

 

アートプロジェクトやまちづくりのプロセスは、似ているようで、大きく異なる。

同じ行政、同じ地域という枠組みであっても、役所内の部署や、それぞれに活動している団体の目的やプロセスは立場によって異なります。そのため、まちづくりにアートの視点を取り入れるとき、目指しているかたちは似ていても、それぞれのの考え方やプロセスが大きく異なることに、最初は驚く人も多いそう。そのことを感じとれる一つのエピソードがあります。

名古屋市観光文化交流局から、「港まちを舞台にクラシック音楽のイベントを開催したい」という当初の提案を受けて動き出し、クラシック音楽と現代美術のフェスティバルとしてスタートした「アッセンブリッジ・ナゴヤ」。初年度は名古屋フィルハーモニー交響楽団が創立50周年を迎えるタイミングでもあり、クラシック音楽部門ではフルオーケストラが演奏できる特設ステージを用意して、4日間の演奏会が企画されました。開催にあたって、フルオーケストラが登壇できる規模のステージを作り、演奏会が終われば即解体され、楽器は海風に当たると傷んでしまうためすべてレンタルする必要がありました。音楽家のまちでの滞在も演奏会の日のみで、地域の人と触れ合う時間もほとんどありませんでした。「美術展でアーティストがまちをリサーチして新作をつくるように、中・長期的にアーティストがまちに滞在できて、地域の人々が音楽やアートに触れる機会が増える、そんな企画を中心にできないか」と、吉田さんと青田さんが企画運営を担っている現在のかたちへと、時間を経ながら変化していきました。


(撮影:今井正由己 提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会)

結果的に「アッセンブリッジ・ナゴヤ」として、プレイベントである2015年度から2020年度の期間、港まちの公共空間や空き家、店舗などを活用した展覧会やコンサートなど、さまざまなプログラムを盛り込んだフェスティバルを毎年開催しました。初年度からの振り返りをもとに、アーティストがまちに滞在する機会をより増やすことで、アーティストと地域の人々の交流もこれまで以上に見られるようになりました。さらに、2021年からは「フェスティバル」から、アーティストがまちに滞在して制作や活動を行う「アーティスト・イン・レジデンス」へと移行しています。

当初の「港まちを舞台にクラシック音楽のイベントを開催したい」という提案をした段階では、アートプロジェクトのようなプロセスやアウトプットにイメージが湧いていなかったという名古屋市の担当者も、実際にアーティストがまちに入って活動する様子を目の当たりにするうちに実感を持ち、初年度を全体で振り返る段階では「港まちでアートプロジェクトを実施しているみなさんが目指していたことがよくわかりました」と話すようになりました。このようにそれぞれの立場の違いで、目指しているかたちは似ているようでも、アウトプットやプロセスが異なることがよくあるのです。

 

市の担当者と一緒に、アイデアを持ち寄って事業をつくります。

「行政側にとっては何かをやりたくて始める、というよりも、まずは市の仕組みや予算があり、そこから考え始めていくことが多くなります。当然、アーティストや現場を作っている人たちとは熱量も違ってくるので、まずはその場で何が起こっているのかを見てもらう必要がありますよね。企画やイベントの場には頼み込んででも来てもらって、一緒に時間を過ごします」(青田)

たいてい役所には3年で部署を異動するという通例があり、担当する人によって熱量や姿勢も変わります。自ら密に連携を取っていく人もいれば、予算組みの相談のみでほとんど関わりのない人も。どの段階でどの立場として関わっているか否かでも、大いに熱量は変わります。最初にともに立ち上げを経験した担当者は、市の中での別の部署に異動になってからも気にかけてくれ、サポートや助言をくれることもあり、繋がりを持ち続けることが多いそう。


(撮影:三浦知也 提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会)

「異なる立場だからこそ、仕事の分担の難しさや、どこに熱量を持てるかという違いはありますが、やっている中でお互い発見も多くなります。行政の人は現場を見ることで、アートを架け橋に思いもよらない場の変化や人の交流が起こっていることを少なからず感じているでしょうし、僕たちは『行政のルールの中で、どうしたら実現できるか?』と常に自分たちにも問いかけながら、その問いを行政やまちづくりの人たちとも共有していく。行政やまちづくり、違った立場の人たちと連携することで、アーティスト個人だけでは叶わなかったことも実現できる可能性が広がりますし、例えば具体的な話で言うと協議会や個人では使用することが難しい、市の施設を使った取り組みへと拡張することもできます」(青田)

アートはまちづくりのために存在しているわけではありません。逆もまたしかり。アートはアートのため、まちづくりはまちづくりのために行われていく中で、接点があれば発見につながる。アートの視点を取り入れた場からは、そんな相乗効果が広がっています。

Interviewee : Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya] https://www.mat-nagoya.jp/
Interviewer : ACKT
text : Yu Kato photo : Yuki Akaba

 

中編はこちら:アートプログラムとまちの風景(中編)|Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]