まちとアートが距離を縮めた20年間(前編)|Breaker Project

東京都国立市内外の方とともに活動(ACT)し、まちとともに成長するさまざまなプラットフォームを育てることを目的とした団体である「一般社団法人ACKT」が、各地で実践されている文化芸術活動の担い手や活動、仕組み等について「場づくり」「体制」「アートプロジェクト」等の観点からリサーチ取材を行い、レポートにまとめました。

今回は、アートプログラム「Breaker Project」の取り組みを、全3回にわたりご紹介します。

大阪といえば思い浮かぶシンボル、通天閣。そこから南側に広がる西成(にしなり)エリアは“日本最大のドヤ街”とも呼ばれ、日雇い労働者向けの“ドヤ”という安宿や居酒屋が軒を連ねる、古くから労働者が集まる街として知られています。

高度経済成長期に生まれて今も続いているその風景は、西成ならではの文化としてYoutubeなどで話題になり、バックパッカーや外国人観光客が多数訪れるようになりました。

国内外から人が集まる一方で、地元の人々が静かに暮らす住宅街でもある西成。多様な側面を持つ西成のまちには、20年前からアートを取り入れた新しい動きが生まれていました。その動きは、西成の人、もの、場所を、ゆるやかに巻き込み続けています。

「芸術と社会を近づけたい」という想いから生まれたプロジェクト。

大阪・西成に拠点を置く「Breaker Project(ブレーカープロジェクト)」は、芸術と社会をつないでいくことを目的に活動する地域密着型のアートプロジェクトです。

その成り立ちは、さかのぼること20年前。通天閣の近くに、遊園地と商業施設が合体した伝説の娯楽施設「フェスティバルゲート」がまだ存在していた2002年、大阪市とNPOが協働する文化芸術施策として「アーツパーク事業」が生まれました。

Breaker Projectのディレクター、雨森信(アメノモリ・ノブ)さんは、アーツパーク事業に関わるNPO法人「記録と表現とメディアのための組織[remo]」のメンバーの一人でもありました。

「私は芸術大学の出身で、学生時代は“作る側”でした。作ることは楽しかったけれど、現代美術はあまりにも社会と切り離されている、と違和感を持つようになっていきました。展覧会に訪れるのはアート関係者がほとんどで…作品は売れるわけでもなく、大学に戻ってくる。そういった状況を見ながら、もっと社会と関わることがしたいと思うようになりました」(雨森)

現代美術と聞くと、どこか難解で自分たちの暮らしとかけ離れているように感じる人もいます。けれども、まちの人々が日常の中で現代美術に触れることは、新しい視点や価値観を広げるきっかけになるのではないかと、雨森さんは考えました。

Qenji Yoshida《来日》、会場の一つとなったカラオケ居酒屋ももえの展示風景、2022、
TRA-TRAVEL [Co-mirroring コ・ミラーリング] – 共にうつしあう-  / Breaker Project 2020-2021

 

「現代美術には、多様な視点から社会を批評的に見ていく要素が盛り込まれています。普段の忙しい生活から少し離れて、自分たちの暮らしや社会について考えたり、未来の社会を想像・創造していくためには、芸術文化は欠かせないものです。特に現代の美術は、現在を起点にしているわけですから、分かりにくいこともありますが、何か通じる部分もあるはずだと考えています。リアルな社会の中に、アートの側から接続していくための一つの方法として、まちの中で活動していくことを考えるようになっていきました」(雨森)

雨森さんは、既に社会と関わりながら活動していたアーティストたちと展開するプロジェクトを構想し、「芸術と社会をつなげる」現場としてBreaker Projectを企画。アーツパーク事業の市民還元事業という枠組みでスタートすることになりました。

作家とともにまちへ出かけるフィールドワークで、地域とのつながりが生まれはじめた。

Breaker Project発足1年目の2003年に行われた活動の一つが、造形作家の伊達伸明さんによるプロジェクトでした。

「伊達さんが2000年より取り組んでいる『建築物ウクレレ化保存計画』は、取り壊される建築物の記憶を持ち主に聞き取りながら、生活の痕跡が色濃く残る部分や特徴的なパーツを使ってウクレレを作るというプロジェクトです。ただ、特定のエリアでのプロジェクトとなった時、取り壊し物件を探すというのは地上げ屋みたいになるから(笑)、新世界の建物の記憶を取材しようということになって、半年以上かけて60軒の建物の聞き取りを行っていきました。その中で、取り壊し物件とも出会ってウクレレも2本制作しています」(雨森)

地域の人の個々の記憶を聞き取ることに重点を置いて進めていった結果、地域とのつながりが生まれていったといいます。また、もしウクレレを作るならということで、取材したそれぞれの建物の特徴的な部分を写真に撮って「絵札」を、取材時のエピソードから抽出された「読札」を60組作り、「新世界ウクレレかるた」が完成しました。

2年目となる2004年には、古くなったモノや空間に「色」を塗ることで再生させるアーティスト、Franck Bragigand(フランク・ブラギガンド)さんを招聘し、大阪に残る最後の路面電車「阪堺電車」の駅と車両をペイントするプロジェクトも行われました。

「1〜2年目の駆け出しの時期に、既にリアルな社会とダイレクトに関わりながら活動しているアーティストとプロジェクトに取り組めたことは、私たちにとっても大きな学びになっています。『新世界ウクレレかるた』ができるまでのフィールドワークでは、新世界エリアのお店やお家を訪ねて回り、もちろん断られることもあったけど、それをきっかけに新世界の人たちの関係性が少しずつ出来ていきました」(雨森)

作家とともにまちへ出かけるフィールドワークは、アートプロジェクトの第一歩として非常に有効で、有意義なものになるそうです。Breaker Projectの最初の2年間の活動は、地域の人々との距離がぐっと縮まるものになりました。

 

「まちとアートが距離を縮めた20年間(中編)」に続く

Interviewee : Breaker Project https://breakerproject.net/
Interviewer : ACKT
text : Yu Kato photo : Yuki Akaba

カフェとアートからはじまった、100年後も続くまちづくり(後編)|SANDO BY WEMON Projects / サンド バイ エモン プロジェクツ

前編はこちら:https://www.ackt.jp/report/sando_by_wemon_projects_1 ‎

本業ではないもう一つの顔に「◯◯ゑもん」とあだ名をつけて、新しい関係性が生まれるまちへ。

SANDOでいろいろなお客さんと話をする中で、本業とは別の個性的な側面が見えてくることもありました。

「僕たちが立ち上げた『ゑもんプロジェクツ / WEMON PROJECTS』では、本業とは別の個性や好きなことを持つ人を『◯◯ゑもん』と名付けました。たとえば、L PACK.の小田桐の本業はアーティストですが、SANDOではコーヒーを淹れる『コーヒーゑもん』、松ぼっくり博士の小学生なら『松ぼっくりゑもん』など」(中嶋)

それぞれのゑもんたちは、得意なことを活かしてSANDOで展示を開いたり、ゑもんプロジェクツが発行するフリーペーパー「HOT SANDO」のインタビューを受けたり、長年の知り合いの知られざる特技を「ゑもん」で知ることができたりと、本業とは異なる新しい関わりが生まれていきました。

「自分の得意や好きなことを『◯◯ゑもん』として伝えることができれば、『ゑもん』としてまちの困りごとを解決できるかもしれないし、そんな個性的な人たちがいるまちをもっと面白いと感じることができます。ゑもんプロジェクツが引き継がれていけば、100年後はさらに面白いまちになっているんじゃないかと思います」(小田桐)

SANDO」が終わっても、人のつながりは続きます。

その後、コロナ禍を経て「池上エリアリノベーションプロジェクト」は終了し、2022年1月31日をもってSANDOは閉店することになりました。

SANDOで新しく起こりはじめていたことは、これで0に戻るのでしょうか? そう尋ねるACKTメンバーに、「この3年間で知り合えた面白い人たちとのプロジェクトは、これからも続けていこうと思っています」と中嶋さん。

SANDOに通うお客さんの中には、空き物件のオーナーや、空き物件を活用したいという人もおり、3年経ってようやくゆるやかなマッチングが起こりはじめていました。

そして、なんと閉店が決まったSANDOから徒歩2分の物件とご縁があり、再びL PACK.と敷浪さんがタッグを組み、コーヒーが飲めるカウンターのあるお店にリノベーション。L PACK.の活動は、池上でも続いていくことになりました。

 

「SANDOは池上エリアリノベーションプロジェクトの一つなので、プロジェクトが終わればなくなります。でも、自分たちで始めたゑもんプロジェクツのように、終わらないこともいろいろあります。これからも、“まちづくりのため”にしたいと思うことはないけれど、自分たちがやりたいと思うことは引き続きやっていきます。アーティストの僕らも何が起こるかわからない、ただ面白いことが起こるきっかけを作り続けていきたいと思います」(中嶋)

まちの変遷とともに変わっていくものもあれば、ゆるやかに残っていくものもある。100年とはそうやって積み重ねられていく年月なのかもしれません。

Interviewee :LPACK. |WEMON Projects  https://lit.link/wemon
Interviewer : ACKT
text : Yu Kato photo : Kensuke Kato

 

カフェとアートからはじまった、100年後も続くまちづくり(前編)|SANDO BY WEMON Projects / サンド バイ エモン プロジェクツ

東京都国立市内外の方とともに活動(ACT)し、まちとともに成長するさまざまなプラットフォームを育てることを目的とした団体である「一般社団法人ACKT」が、各地で実践されている文化芸術活動の担い手や活動、仕組み等について「場づくり」「体制」「アートプロジェクト」等の観点からリサーチ取材を行い、レポートにまとめました。

今回から、アートプログラム「SANDO BY WEMON Projects / サンド バイ エモン プロジェクツ」の取り組みを、全2回にわたりご紹介します。

鎌倉時代から続く、日蓮宗の大本山「池上本門寺」。その周辺に広がる池上のまちには、商店街や住宅、そして多くの町工場があります。

2019年5月〜2022年2月、東急池上線池上駅から池上本門寺へと続く参道の入り口に、カフェ「SANDO(サンド)」がオープンしました。

コーヒーやサンドイッチ、スイーツなどを提供する、一見普通のカフェ。ですが、実は小田桐奨(おだぎり・すすむ)さんと中嶋哲矢(なかじま・てつや)さんのアーティストユニット「L PACK. / エルパック」が、立ち上げから運営、プロジェクトの推進に携わる、アートとまちづくりの拠点でもありました。

「SANDO」が開かれた3年間、まちにどのような変化が生まれ、何を残していったのでしょうか。

100年後の未来のために、即効性のないまちづくりを考えよう。

 

「SANDO」が生まれた経緯は、大田区と東急電鉄がまちづくりの協定を結んだことからはじまります。

2021年にリニューアルする池上駅を中心に、地域資源を活かしたまちづくりと地域の継続的な発展を目指す「池上エリアリノベーションプロジェクト」という大きな構想の一環として、池上駅前に「まちづくり拠点」を作る計画が立ち上がりました。

プロジェクトメンバーには、L PACK.と建築家の敷浪一哉(しきなみ・かずや)さんが加わりました。3人は、2018年にも横浜市の郊外にある旧日用品市場を改修し、日用品の販売とコーヒーが飲めるお店「DAILY SUPPLY SSS」をオープンしています。

「まちづくり拠点」ではなく「カフェ」として開くことは、L PACK.からの提案でした。

「まちづくりの拠点をまちづくりのために作っても、興味を持って訪れる人は限られてしまいます。人が集まる場を作るのなら、普段から気軽に入れる、誰に対してもフラットなカフェのような場所がいいと、プロジェクトのミーティングでお伝えしました」(小田桐)

まちづくりの課題は、空き家・空き店舗の活用や、子育て、高齢化問題など、地域によって多岐に渡り、すぐには解決できないことも多くあります。

「当時の池上では、1922年の開業から100年近く使われていた池上駅舎の建て替えや、東急電鉄の100周年も重なって、これからの100年のことを考えていこうという機運がありました。100年後にはきっと僕たちはいないし、想像もつかないように思えます。けれども今あるものを紐解くと、100年前に企画や事業が立ち上がり、続いているものもある。目先の課題解決への即効性のみを追求するのではなく、即効性はないかもしれないけれど、100年先に残したい本当に大切なものを見つけていけるといいと考えました」(中嶋)

「普通の会話」を重ねながら、まちをリサーチする。

SANDOの設計・施工はL PACK.と敷浪さんが手がけ、旧池上駅舎の木材もベンチや床材として活用。お客さんとコミュニケーションが取りやすいオープンキッチンのカフェとして、2019年5月にオープンしました。

まずは地域のリサーチを目的としていましたが、訪れる人に「リサーチに協力してもらう」というスタイルではありません。カフェにはL PACK.の2人も立ち、あくまでもスタッフとしてお客さんと接しながら、「お近くですか?」「この辺に美味しいお店あったら教えてください」といった、ごく「普通の会話」を重ねていきました。

「池上は自分たちにとっても初めての場所だったから、どんな人がいて、どんな意見が出てくるんだろう? とワクワクしました。作品と向き合うギャラリーよりも、カフェは滞在時間が長くなるし、普通の会話がしやすいですね」(中嶋)

オープンしてみると、想像以上にいろいろなお客さんが訪れました。年齢層は0歳から90代まで幅広く、近所の人をはじめ、作家やアーティスト、ミュージシャンも多く訪れる場所になっていきました。

池上は歴史のあるまちで、先祖代々の付き合いも多く、「外から中にいる自分が見えない店でくつろぎたい」というお客さんの要望から、お店の窓や戸口を外から見えないように閉じるという通例がありました。そんな中でSANDOのようなオープンスタイルのカフェは珍しく、同時に求められてもいたのです。

Interviewee :LPACK. |WEMON Projects  https://lit.link/wemon
Interviewer : ACKT
text : Yu Kato photo : Kensuke Kato

 

後編はこちら:https://www.ackt.jp/report/sando_by_wemon_projects_2

アートプログラムとまちの風景(後編)|Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]

前編はこちら:アートプログラムとまちの風景(前編)|Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]

中編はこちら:アートプログラムとまちの風景(中編)|Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]

アートとデザインのある港まちの社交場「NUCO」

「MAT, Nagoya」の空き家再生プロジェクト「WAKE UP! Project」をきっかけに、約20年空き家だった元寿司店「潮寿し(うしおすし)」を改修して生まれた、まちの社交場「UCO」。2018年にその一帯の長屋群が解体されることとなり、向かいにあった空き家を再生した新たな拠点「NUCO(ニューシーオー)」がオープンしました。

UCOの活動やコミュニティ、部材の一部を引き継ぎながら、かつて編み物教室として使われていたNUCOの建物の歴史が呼応するような改修を手がけたのは、アーティストユニット「L PACK」と建築家の米澤隆さん、大工さんや建築を学ぶ学生たち。

 現在は「何かやりたい!」という人をサポートする場所にもなっており、飲食物が提供できるカウンターキッチンや、展示・ワークショップができる2階スペースの貸し出しなどを行っています。場所を活用しているのは、港まちに暮らす大人や学生たちが中心。日々の運営や発信を手がけるのは、学生から社会人までの10人のUCOメンバーたちです。

ACKT事務局メンバーが最初に目にしたのは、1階でずらりと展示販売されたニット類。これらは全て、港まちの編み物の名手・トヨタさんが手編みをした一点物で、網目も美しく、港まちの人から譲り受けたという毛糸の色合わせも凝っています。この冬はセーターが売れ筋商品だったそう。港まちでMATが活動するようになってから、トヨタさんのニットは今や全国、そして世界へ旅立っているというので驚きました。

古民家の趣を残す2階スペースでは、愛知県立芸術大学に通う学生の作品展や、学生の陶芸作品と近所の花屋さんがコラボした活け花展示会などが行われています。毎週第2・第4金曜日には、10代や引きこもりの子たちが集います。1階から2階の一部が吹き抜けになっており、2階からは1階で大人たちがお酒を飲んでいる雰囲気が見えるなど、多世代が自然と混ざり合う場にもなっています。

UCOのロゴマークはデザイナーのフクナガコウジさんが手がけており、毎年新しくリニューアルされるそうです。メンバーから「UFOに似ているね」とも言われるUCOは、前身の旧寿司店「潮寿し」をリスペクトしているほか、“「Unidentified “C” Organism」=「未確認な “C” の有機的組織体」と定義し、CoffeeやCafe、Chair、Communicationなど、さまざまな「Cを頭文字とする言葉」にまつわる出来事をつむいでいく。”という意味もあります。

Cからはじまる単語は、アルファベットの中で最も多いそうです。2階の一角には、メンバーの日報から抜き出した「今日のCからはじまる単語」が展示されるなど、話題が尽きないほどの広がりを感じられます。傍らのミュージックプレイヤーからは、名古屋在住のミュージシャン、テライショウタさんによる「UCOの歌」が流れ、「UCOメンバーが好きな寿司ネタ」などが盛り込まれた歌詞には思わずクスリとしてしまいます。

 デザインやアートの素地があるまちの社交場では、思いもよらない自然発生的なつながりや、「トヨタさんのニット」や「UCOの歌」に見られるような、自由な解釈や新たな作品が生まれていくのかもしれません。

NCOのように、港まちには「WAKE UP! Project」から生まれたアートの拠点が点在し、空き店舗のシャッターを閉めているだけでは見られない新しい風景や価値を生み出しています。

 街角のショーウィンドウのような「スーパーギャラリー」は、閉業したスーパーマーケット「築地公設市場」の一角を改修して生まれた小さなギャラリー。中に入ることはできませんが、ウィンドーギャラリーとして通りすがりに眺めることができます。

閉業した店が空き家となり、周辺の人通りも徐々に少なくなって、まちが活気をなくしていく。そんな光景は港まちに限らず増えています。港まちの事例からは、新しいものに作り変える前に、そこにあるものを活用することで、新しい動きが生まれていく様子を窺い知ることができます。

 

Interviewee : Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya] https://www.mat-nagoya.jp/
Interviewer : ACKT
text : Yu Kato photo : Yuki Akaba 

アートプログラムとまちの風景(中編)|Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]

前編はこちら:アートプログラムとまちの風景(前編)|Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]

アートとまちづくりの拠点が、あらゆる人に開かれた場になっていくまで。

「MAT, Nagoya」が拠点を置く「Minatomachi POTLUCK BUILDING(港まちポットラック)」は、もとは10年間空きビルになっていた旧文具店でした。

ビルの改修・整備を手がけた「ミラクルファクトリー」代表の青木一将さんは、愛知県立芸術大学の彫刻科出身で、当時は大学を卒業して間もない頃でした。経験は少なかったものの、木や石などのあらゆる素材を扱った施工や鉄の溶接などができ、「あいちトリエンナーレ」でのアーティストとのコラボレーションや街中のアートプログラムの施工などで経験値を上げ、今では現代美術のインストーラーチームとして各地の美術館などを手がけています。

「1階『ラウンジスペース』は、まちづくりやアート関連の情報が閲覧できる場所で、イベント時に活用されています。2階『プロジェクト・スペース』は、まちづくりやコミュニティに関わる展示、ワークショップ、ミーティングを行う場所で、『港まち手芸部』『港まち俳句の会』などの地域団体の展示や町内会議なども行われます。3階『エキシビジョン・スペース』は、MATが企画・運営する現代美術を中心とした企画展などを行う場所です。4階はMATの母体『港まちづくり協議会』のオフィスとして使われています」(吉田)

ACKT事務局メンバーが港まちポットラックに伺った時、3階の「エキシビジョン・スペース」はオープンスタジオとして開かれており、ニットアーティスト・パフォーマーのオノ リナさん、アーティストの古橋まどかさん、アーティストの山下拓也さんがまちに滞在しながら創作活動をしている様子を見ることができました。

これは、アーティスト、デザイナー、ミュージシャンなどの表現者の制作や発表活動をサポートする「MAT, Nagoya・スタジオプロジェクト」という取り組みです。地域の人にとって、普段なかなか目にすることができないアーティストの制作現場や、滞在中に制作された作品に触れられる機会にもなっています。

「1階から3階は、誰でも自由に出入りできる場所。そこでは、アートに触れる・イベントに参加するだけでなく、地域の子どもが遊びに来たり、年配の方が『携帯電話の使い方を教えてくれないか』と聞きに来たり、近所に暮らすパキスタン出身の家族が『子どもの遊び場がない』と居場所のように通ってくれたりと、身近な公共スペースとして利用されている方もよく見かけます」(吉田)

 「アートに関心がある・ないに関わらず、いろんな人が訪れている印象です。一方で、港まちポットラックのことをまちの人みんなが知ってくれているかというと、まだまだかな、とも感じます。ここでは営利事業にあたるお店を開くことはできませんが、『お茶が飲めます』『本が読めます』といった明確な目的があれば、もっと入りやすくなるのかもしれません」(青田)

港まちポットラックは、毎週火曜日から土曜日、11時から19時に開室しています。開室時間中は誰でも立ち寄ることができ、MATや港まちづくり協議会主催の企画展やワークショップ、毎月第2土曜日には『みなと土曜市』というマーケットも開催されています。多様な取り組みがほとんど途切れることなく行われていることで、港まちに賑わいを生みながら、アートとまちづくりへの興味関心の入り口を開いています。

多様な「かかわりしろ」があることで、予想もしなかったことが起こって、広がっていくこともある。

「MATを立ち上げた当初は、『アーティストやアートのための場を作ろう』と考えていました。まちづくりの課題解決のためのアートや、まちづくりのための場ではなく、アートのための場を作っていこうという思いは今も変わりません。でも、実際蓋を開けてみたら、アートだけでは広がらない面白さをすごく感じることができたんです。アートとまちづくりは異なるものだけれど、溶け合って共存していくことができる、という実感が積み重なっていきました」(青田)

アートとまちづくりが溶け合う事例として、「MAT, Nagoya・スタジオプロジェクト」でまちに滞在したニット・アーティストの宮田明日鹿さんが、編み物が得意な港まちのおばあちゃん達と「港まち手芸部」を立ち上げたというケースがあります。作品そのものがまちを変えるわけではないけれど、アーティストが滞在することで、結果として新たなコミュニティが生まれたり、人の動きが生まれることが結果としてまちのニーズや課題解決につながったりと、ゆるやかな変化も見られるようになりました。

港まちポットラックを訪れる人の目的が多様であるように、アートプログラムや場に参加する人々の「かかわりしろ」も多様です。実際に参加者に話を聞くと、「アートプログラムだと思わず参加した」という声もあり、アートに興味がなかった人もアーティストと会話をしたり作品に触れたりする機会が増えることで、「これはこういうことを表現しているんでしょう?」といった話題が自然と出るようになるなど、アートに対する“慣れ”が出てくる人もいるそうです。

「MATのメッセージに、『アートそのものは、まちを変えるためには存在していません』と明記しています。これはMATの活動初期から問い続けていることで、異なるものだからこそ、それぞれが同居するバランスが重要だと思っています。それはアーティストや場があればすぐに実現できるというものではなく、まちの中で活動するプロセスや目的が異なる人々とのつながりを育む、優れたつなぎ手・調整役の存在が必須であるとも感じます」(吉田)

アートやアーティストがまちに溶け込むと、人がアートやまちに関わる様々な「かかわりしろ」が増えていきます。多様な人を巻き込むことは、結果としてまちづくりにもつながっていきます。まちづくりの課題ありきでなく、トップダウンでもない、ゆるやかなつながりづくり。MATの活動は、港まちにゆるやかな変化をもたらし続けています。

Interviewee : Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya] https://www.mat-nagoya.jp/
Interviewer : ACKT
text : Yu Kato photo : Yuki Akaba

 

後編はこちら:アートプログラムとまちの風景(後編)|Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]

アートプログラムとまちの風景(前編)|Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]

東京都国立市内外の方とともに活動(ACT)し、まちとともに成長するさまざまなプラットフォームを育てることを目的とした団体である「一般社団法人ACKT」が、各地で実践されている文化芸術活動の担い手や活動、仕組み等について「場づくり」「体制」「アートプロジェクト」等の観点からリサーチ取材を行い、レポートにまとめました。

初回は、アートプログラム「Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]」の取り組みを、全3回にわたりご紹介します。

貿易港として日本一大きな陸地面積を持つ「名古屋港」。そこには、どこか懐かしい商店や民家が並ぶ、港まちの風景が広がります。ちらほらと目に入る空き家、空き店舗だった場所には新たな灯がともり、新しい動きが生まれていました。

名古屋駅から電車で約20分。5階建ての旧文具店ビルを再生した「Minatomachi POTLUCK BUILDING(ポットラック)」は、まちづくりとアートのための拠点でもあり、地域の人たちが自由にゆるやかに過ごせる場にもなっています。

企画・運営を手がけるのは、「港まちづくり協議会」と同協議会を母体としたアートプログラム「Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]」。現代美術の展示やイベント、空き家を資源として活用する「WAKE UP ! PROJECT」など、様々な取り組みを展開しています。

アートの視点を取り入れたまち、まちに触れたアート、そこから広がる光景とは? プログラムディレクターの吉田有里さん、青田真也さんに話を伺いました。

 

港まちにアートを取り入れた。

「ポットラックという言葉には、ありあわせ/持ち寄り料理という意味があり、人々の知恵、問題や課題を持ち寄り、学びの共有の場としていきたいという想いを込めました。日常の中にアートやデザインなどの創造的思考を取り入れることで、人々や土地の潜在的な魅力、新たな気づきを引き出すきっかけになる場所を目指しています」(吉田)

『港まちづくり協議会』は、ポートピア名古屋という競艇場のチケット売り場の売り上げの内1%を、まちづくりのために活用する組織として、2006年に設置されました。はじめは学校や公共施設といったハードの整備に予算が使われていましたが、そのうち整備もほぼ終わり、次はソフトの整備へ。そのタイミングと、名古屋に多くのアーティストが集まる『あいちトリエンナーレ2013』が重なりました。そこで、2010年・2013年のトリエンナーレに長者町会場の担当として参加していた吉田さんとの出会いがありました。

「『港まちづくり協議会』では、2013年から2018年のまちづくりの指針を『み(ん)なとまちVISION BOOK』という冊子にまとめており、まちづくりにアートを取り入れるという指針も示されていたので、そこに基づいてアート事業を立ち上げることになりました。協議会委員のメンバーの中にはアートに理解のある方もいて、柔軟な方が集まっています」(吉田)

港まちエリアには、現代美術が盛んだった902000年代にギャラリーがいち早く存在しており、住民の中には当時の活気を知る人も。かつては港湾の倉庫をアーティストのスタジオとして貸し出す取り組みも行われており、その後も断続的にアートに関わる動きもあり、アート事業を取り入れる素地がありました。

「協議会のスタッフメンバーと話している中で、まちづくりの活動と、まちなかのアートプロジェクトは似ているようで、アウトプットや行程などの多くの部分が異なることもわかってきました。そこで、アーティストとして活動しながら企画も行っている青田真也さん、アート・マネジメントを専門とする野田智子さん(2017年まで在籍)を共同ディレクターに迎え、何かを進めていく上で噛み合わない部分があれば、何回も話し合いを重ねていきました」(吉田)

 

アートプロジェクトやまちづくりのプロセスは、似ているようで、大きく異なる。

同じ行政、同じ地域という枠組みであっても、役所内の部署や、それぞれに活動している団体の目的やプロセスは立場によって異なります。そのため、まちづくりにアートの視点を取り入れるとき、目指しているかたちは似ていても、それぞれのの考え方やプロセスが大きく異なることに、最初は驚く人も多いそう。そのことを感じとれる一つのエピソードがあります。

名古屋市観光文化交流局から、「港まちを舞台にクラシック音楽のイベントを開催したい」という当初の提案を受けて動き出し、クラシック音楽と現代美術のフェスティバルとしてスタートした「アッセンブリッジ・ナゴヤ」。初年度は名古屋フィルハーモニー交響楽団が創立50周年を迎えるタイミングでもあり、クラシック音楽部門ではフルオーケストラが演奏できる特設ステージを用意して、4日間の演奏会が企画されました。開催にあたって、フルオーケストラが登壇できる規模のステージを作り、演奏会が終われば即解体され、楽器は海風に当たると傷んでしまうためすべてレンタルする必要がありました。音楽家のまちでの滞在も演奏会の日のみで、地域の人と触れ合う時間もほとんどありませんでした。「美術展でアーティストがまちをリサーチして新作をつくるように、中・長期的にアーティストがまちに滞在できて、地域の人々が音楽やアートに触れる機会が増える、そんな企画を中心にできないか」と、吉田さんと青田さんが企画運営を担っている現在のかたちへと、時間を経ながら変化していきました。


(撮影:今井正由己 提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会)

結果的に「アッセンブリッジ・ナゴヤ」として、プレイベントである2015年度から2020年度の期間、港まちの公共空間や空き家、店舗などを活用した展覧会やコンサートなど、さまざまなプログラムを盛り込んだフェスティバルを毎年開催しました。初年度からの振り返りをもとに、アーティストがまちに滞在する機会をより増やすことで、アーティストと地域の人々の交流もこれまで以上に見られるようになりました。さらに、2021年からは「フェスティバル」から、アーティストがまちに滞在して制作や活動を行う「アーティスト・イン・レジデンス」へと移行しています。

当初の「港まちを舞台にクラシック音楽のイベントを開催したい」という提案をした段階では、アートプロジェクトのようなプロセスやアウトプットにイメージが湧いていなかったという名古屋市の担当者も、実際にアーティストがまちに入って活動する様子を目の当たりにするうちに実感を持ち、初年度を全体で振り返る段階では「港まちでアートプロジェクトを実施しているみなさんが目指していたことがよくわかりました」と話すようになりました。このようにそれぞれの立場の違いで、目指しているかたちは似ているようでも、アウトプットやプロセスが異なることがよくあるのです。

 

市の担当者と一緒に、アイデアを持ち寄って事業をつくります。

「行政側にとっては何かをやりたくて始める、というよりも、まずは市の仕組みや予算があり、そこから考え始めていくことが多くなります。当然、アーティストや現場を作っている人たちとは熱量も違ってくるので、まずはその場で何が起こっているのかを見てもらう必要がありますよね。企画やイベントの場には頼み込んででも来てもらって、一緒に時間を過ごします」(青田)

たいてい役所には3年で部署を異動するという通例があり、担当する人によって熱量や姿勢も変わります。自ら密に連携を取っていく人もいれば、予算組みの相談のみでほとんど関わりのない人も。どの段階でどの立場として関わっているか否かでも、大いに熱量は変わります。最初にともに立ち上げを経験した担当者は、市の中での別の部署に異動になってからも気にかけてくれ、サポートや助言をくれることもあり、繋がりを持ち続けることが多いそう。


(撮影:三浦知也 提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会)

「異なる立場だからこそ、仕事の分担の難しさや、どこに熱量を持てるかという違いはありますが、やっている中でお互い発見も多くなります。行政の人は現場を見ることで、アートを架け橋に思いもよらない場の変化や人の交流が起こっていることを少なからず感じているでしょうし、僕たちは『行政のルールの中で、どうしたら実現できるか?』と常に自分たちにも問いかけながら、その問いを行政やまちづくりの人たちとも共有していく。行政やまちづくり、違った立場の人たちと連携することで、アーティスト個人だけでは叶わなかったことも実現できる可能性が広がりますし、例えば具体的な話で言うと協議会や個人では使用することが難しい、市の施設を使った取り組みへと拡張することもできます」(青田)

アートはまちづくりのために存在しているわけではありません。逆もまたしかり。アートはアートのため、まちづくりはまちづくりのために行われていく中で、接点があれば発見につながる。アートの視点を取り入れた場からは、そんな相乗効果が広がっています。

Interviewee : Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya] https://www.mat-nagoya.jp/
Interviewer : ACKT
text : Yu Kato photo : Yuki Akaba

 

中編はこちら:アートプログラムとまちの風景(中編)|Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]