まちとアートが距離を縮めた20年間(中編)|Breaker Project

前編はこちら:まちとアートが距離を縮めた20年間(前編)|Breaker Project

誰でも参加できるアートプロジェクトで、まちの魅力を再発見しよう!

2003年から現在まで、「Breaker Project(ブレーカープロジェクト)」の活動拠点を地図上にポイントすると、初期は新世界エリア、徐々に南下して西成の方に広がっていることがわかります。

まちを巻き込み、人とつながり、アートを身近に感じてもらう。その拠点を広げるきっかけを作るプロジェクトの一つが、陶芸が専門分野のアーティスト、きむらとしろうじんじんさんの野点(のだて)です。

まちなかにある路上や空き地などの場所に、メイクと衣装でドレスアップをしたじんじんさんが陶芸窯や素焼き茶碗を積んだリヤカーを引いて現れ、お客さんは茶碗に絵付けをし、その場で焼き上げて最後にみんなでお茶を飲む、という一連のプロジェクト。

告知を見てやってくる人だけでなく、通りすがりの人、地元の人も立ち寄ってもらおうと考えられた野点は、実は緻密な準備と地元の人との関係性の上に成り立っているそうです。

「じんじんは、野点の前に“お散歩会”と称して、地元の人や外の人と一緒にまちを歩き、いろんな視点から場所を発見したりその地域に住んでいる人と出会ったり話したりしながら、開催する場所を決めていくプロセスを重視しています。『人の情けにすがってしか、野点は成立しない』。じんじんはそう話していますよ」(雨森)

「動物園前商店街から路地に入ってすぐのところにあいりん地区のほど近くにある米店さんの向かいに、じんじんが気になる空き地があったんですが、そのすぐ近くに々が“立ちしょんべん”をしているフェンスがありました。フェンスの周辺には野点にぴったりな場所が広がっていたものの、事務局はなかなかそこで開催する決断ができませんでした。けれども、2007年に米店の主人がそこに植物を植え始めたことで様子が変わり、ようやく開催に至ります。

「米店のご主人には、『他にもっといい場所があるやろ』と言われました。私たちの目線からはすごく魅力に感じる場所も、地元の人は魅力を感じておらず、そうおっしゃる方は多いんです。でも、『普段使われていなくても、魅力的な場所はたくさんあると思います。この活動でそんな場所をたくさん見つけていきたいんです』と熱心にお話して、実現に至りました」(雨森)

当日はお客さんがたくさん訪れて、閑散とした雰囲気が一変して明るいものになりました。米店のご主人も喜んで、朝から現場を訪れてお客さんとの交流を楽しんでいたそうです。


さらに、地元の人とのこんなエピソードも。

「野点の準備中に通りがかったおじさんが、ずっと興味深そうに立ち止まって様子を伺っていて。野点をめざしてきていた女性や家族づれが多いなか、参加するには抵抗あったと思うんですが、一歩踏み出してお茶碗を選んで絵付けを始めたんです。周りのことは気にせず一心不乱に絵付けに打ち込むおじさんの姿に、感動を覚えるほどでした。」(雨森)

アーティストと事務局がサポートし合い、ともに地域に溶け込んでいく。

「これまでの活動を振り返ってみて、Breaker Project、「サイトスペシフィック」「参加型」「フィールドワーク」「連携」というキーワードがあり、特徴とも言えると思います。」(雨森)

「サイトスペシフィック」とは、その場所の特性を活かした作品とその制作過程を表す言葉。例えば、新世界の空き店舗を再築する「まちが劇場準備中」では、プロジェクトメンバーと事務局メンバーみんなで大掃除をするところからスタートし、掃除をしながら近所の人たちと何度も挨拶を交わしたことで、信頼関係が育まれていきました。

「参加型」「フィールドワーク」「連携」も、地域に暮らす人やもの、場所を巻き込んでいくことを表します。Breaker Projectの事務局は、アーティストが地域に入り、時間をかけて制作に取り組むプロセスの中で、地域の人との関わりが生まれるようなマネジメントを行っています。

ゆるやかな変化が生まれ、50年後、100年後に結果が見えてくる。

「『西成は怖いまち?』と、よく聞かれます。実際に、どこかで麻薬の売買が行われているし、やくざの事務所もある、それは怖いところかな。でも、住んでいて酔っ払ったおっちゃんに怖い思いをさせられたことは、私はないです。酔って話しかけてくる人がいる、道端で寝てる人がいる、そういうことに慣れていないうちは怖い印象があるだろうなと思います」(雨森)

地域にはそれぞれの特徴や文化があり、文化が違えば戸惑ったり「怖い」と感じることもあります。雨森さんもまた、西成に暮らすほかの人々と同じように、まちに慣れ親しんでいるのです。

「日雇い労働者のまち、治安が悪い。そういう印象から、西成在住・出身であることを恥ずかしいと思っている人もいると思います。そんな中で、米店のおじさんが野点を通してまちを見る目が変わったように、アートプロジェクトを通してマイナスの印象がプラスに変わった瞬間を目にすることは多くあります」(雨森)

西成でアートプロジェクトを続けてきた20年間。まちに変化はあったのでしょうか。

「アートプロジェクトがまちにもたらすものは、一人ひとりの小さな変化かもしれません。地域課題を直接解決したり、数字で測れる効果があったり、そういうものではないけれど、例えばコミュニケーションが苦手な子どもが、数時間の楽器の演奏ワークショップの中で見違えるほど表情が豊かになって、イキイキと話しはじめる、そういうエピソードはたくさんあります。まちにアートプロジェクトがあって良かったかどうかは、数字よりもまちの人の声に現れます」(雨森)

まちの特徴や文化は、そこに暮らす人が作っていきます。まちで暮らしている子どもが大人になったときに、このまちを出て行ってしまうのか、それとも、このまちで得た経験が記憶に残り、新しい動きや変化をもたらす存在になっていくのか。その変化は、長い時間を経ることで、初めて見えてきます。

「私が生きている間は、変化は見られない。でも、ゆるやかに変わっている。そのくらい長い目で見ながら続けていかないと意味がない。芸術文化とは、そういうものじゃないかなと思います」(雨森)

Interviewee : Breaker Project https://breakerproject.net/
Interviewer : ACKT
text : Yu Kato photo : Yuki Akaba

後編はこちら: