くにたちまち歩きワークショップ レポート

ACKT(アクト/アートセンタークニタチ)によるアートプロジェクトのラーニングプログラムの一環として、国立市への知見を広め、活動の可能性を探る「くにたちまち歩きワークショップ」を2日間にわたって開催しました。
今回は、運営としてワークショップに参加した3名にそれぞれの視点でレポートを書いていただきました。

――――――――――

レポート01|発見と出会い、冒険のようなまち歩き (くにたち郷土文化館 安齋順子)
|まち歩きワークショップの流れ
2日間のワークショップで、1日目はくにたちの南武線以北を歩き、2日目は南部地域を散策しました。参加者は、ランダムにチームを組むと、チームで行先を決め、歩くペースもそれぞれという能動的なスタイルで、ACKTからは見どころとなるポイントを入れたMAPと解説シートが提供されます。今回、くにたち郷土文化館からナビゲーターとしてお手伝いに来た私は、いくつかのポイントとなる場所で参加者に解説を行いました。参加者は、道中気になったものや、良いと感じたものをインスタントカメラで3枚程度撮影して、まち歩き終了後の振り返りの時間に、その写真について発表してもらうというのが全体の流れです。

|Day① 1月27日(土)くにたちの南武線以北を歩く
関民帽子アトリエでお話を伺う様子

開催初日。旧国立駅舎に参加者が集まるとACKTメンバーより趣旨や注意点の説明などが行われました。私からは、この日のまち歩きのポイントにもなる大正終わりに始まった国立大学町の開発の歴史について説明しました。その後、この国立大学町開発とほぼ同時期に建てられた国分寺崖線上の別荘、沖本邸(カフェ沖本)へ。カフェの店長久保さんに沖本邸の歴史や保存の経緯など丁寧に説明いただいた後、ここからは2グループに分かれて散策です。

一方のチームは富士見通りへ向かうと、参加者の一人は、以前は良く見えたはずの富士山が通り沿いに新たに建物が建ったため少し見えづらくなっていることに気が付き、インスタントカメラでこの様子を記録に留めていました。その後、まちの文化を彩る関民帽子店(せきたみぼうしてん)や頑亭文庫(がんていぶんこ)なども訪問しました。実際に歩いたところを地図に書き起こす

そして、一橋大学構内に来ていたもう一方のグループに合流すると、こちらのグループは歴史を称える兼松講堂などの校舎に囲まれた空間の中にある彫像に注目しながら散策をしていました。
さくら通りでは、両グループがさくら通りに展示されている「くにたちアートビエンナーレ」の彫刻作品について、芸術小ホールの竹内さんから説明を受け、最後は谷保駅南にある「さえき洋品●(てん)」に向かい、各グループの個々に撮影したポラロイド写真を見せ合いながら振り返りを行いました。

|Day② 2月10日(土)くにたちの南部地域を歩く
2日目は、谷保駅南側の「さえき洋品●」からのスタート。私からは、はじめに見どころとなる南部地域の歴史や、農の風景について解説を行いました。全員で谷保天満宮まで一緒に行くと、丁度、梅林の梅が綺麗な花を咲かせていました。ここでまた2グループに分かれて出発です。用水で少年とカードを拾う様子

Day1と比べて「南部の方が人とコミュニケーションをとることが多かった」と参加者から感想が出ていたくにたちの南部地域。グループごとに面白い出会いもありました。
用水で川に沈んでいるカードを拾う少年と出会ったり、屋敷稲荷の前で「初午(はつうま)」の準備をする地元の方からお話を聞いたり、滝乃川学園で庭作りを行っている、ガーデンプロジェクトの皆さんから活動の様子を伺うこともできました。

Day2は、両グループのルートはたまたま同じような線を描き、稲作の季節には天満宮南の田んぼを潤している用水、城山、国立市古民家、滝乃川学園、ママ下湧水、矢川と用水の水が合流する「おんだし」など、くにたち南部の水と緑豊かな情景と、今変わろうとする景色を目にしつつゴールのくにたち郷土文化館へ向かいました。

|出会いと再発見
今回の歩いた道は、初めて訪れる「くにたち」であったり、普段から知っている「くにたち」の景色であったり、参加者によってそれぞれ違うものであったと思います。たとえ普段から知っている「くにたち」の景色であっても、1日あたり4~5時間かけてゆったり歩き、グループを組んだ他の人の感性にも触れながら歩くことで、普段から知っている「くにたち」の中に、多くの新しい「くにたち」との出会いや再発見があったのではないでしょうか。
まちを知ることは、まちを愛することでもあると思います。
きっと今回参加された皆さんは、この企画に参加する前より少しだけくにたちの事が好きになったのではないでしょうか。

――――――――――

レポート02|まち歩きを終えて (くにたち芸術小ホール 竹内恵美子)
1月27日、集合場所の旧国立駅舎からカフェおきもとへ。線路脇の道をとおり、お庭も散策しつつ旧沖本家住宅を見学。オーナーの久保さんから、保全前の沖本住宅のお話や沖本家の人々のお話、洋館・和館を見学させていただきながら、通常では聞けない貴重なお話を伺いました。

カフェおきもとを出てグループを分け、事務局のスタッフを含めそれぞれのまち歩きがスタート。国分寺崖線から見える景色を楽しみつつ、應善寺を訪問。見学の予約をしたあとに、近くの古美術国立堂にも立ち寄りました。應善寺は浄土真宗本願寺派の寺院で隣に幼稚園を併設した地域の寺院。歴史ある建築、繊細な装飾が施された静謐な空間が広がっていました。一橋大学構内を歩く

次に向かったのは一橋大学、以前は複数の入り口が解放されていたのですが、コロナ禍を経て、今は正門からの出入りのみとなっていました。西キャンパスの水辺近くの大木が、国分寺崖線から見えた木ではないかとの考察をしたり、それぞれの建物の建てられた年代が異なる様子などを確認しながら回りました。続いての東キャンパスでは兼松講堂近くの銅像に注目。村瀬春雄先生の胸像をはじめとして、矢野二郎先生の立像の大きさ、制作者や作成時期、像の目線の意味などにも思いを馳せつつ見渡すと、さらに立派な佐野善作先生の立像がありました。ひっそりと置かれていた関先生の彫刻なども鑑賞しつつ、大学を後にしました。
大学通りをあるき、学園通りとの交差点にあるカフェで昼食をとったあと、さくら通りの野外彫刻の元へ。別チームと合流して、設置された経緯や説明を簡単に受け、立ち並ぶ作品を間近で楽しみながら谷保の拠点「さえき洋品●」へ。撮影した写真を見ながら1日を振り返る

さえき洋品●では、途中で撮影したポラロイド写真を見ながら、今日一日を振り返りました。ひとりではなかなか訪れないスポットに行き、参加者同士お話しながら建物や彫刻、何気ない植物や景色を楽しみながらゆったりと歩くことができ、日常の中の非日常を体験した一日になったのではないかと思います。

――――――――――

レポート03|まわりみち よりみち あぜみち みちのみち (国立市教育委員会生涯学習課 土方智紀)
月日は百代の過客にして行かう年も又旅人也。中学校の国語の授業で松尾芭蕉の「おくのほそ道」の序文を暗唱したことがある。月日は確実に過ぎていく、あの頃から早30年、当時も見ていたまちを改めて巡ってみると、はたして多くの気づきを得られることができた。
国立エリアの一橋大学は兼松講堂などの建造物が有名だが、実は銅像などが敷地内に点在していることを知った。キャンパスのあちこちに矢野二郎先生像、村瀬春雄先生像などの像があり、どのような経緯で像が設置されたのかを確認していくだけでも、大学の歴史を学ぶことができる。

谷保エリアの円成院跡には小さな稲荷が祀られており、ちょうど初午の準備をされていたご当主から、かつては防空壕があったが今は崩れてしまったこと、この辺りは水がよく出る場所であること、のぼり旗の書は本田家で教わったことなど、様々な話を聞くことができた。
「初午」の話を伺う様子

今回はグループ行動だったので、同行者がいることで自分とは違う目線でまちを歩くことができた。
国立エリアでは、「一人だと入れないから今回ぜひ行きたい」ということで商店街の古美術店にお邪魔した。個店でしかも古美術店ということで、敷居が高いのではないかと思っていたが、快く見学を受け入れていただき、最近は古美術品の販売形態が変わってきていることなどを教えていただいた。

谷保エリアでは、「流れがきれい」という声があり、脇の用水路をのぞいてみると日差しと水流の関係で不思議な形をした模様を水の中に見つけることができた。
このほかにも、応善寺のご本尊を拝んだ後の5分ほどの静かな時間、市内で採られたはちみつの味など、五感を十分に楽しめることができた2日間のまち歩きだった。

Text : Ryo Ando , Noriko ANZAI , Tomonori HIJIKATA , Emiko TAKEUCHI
Photo : Kensuke KATO

上映会『ラジオ下神白 ― あのとき あのまちの音楽から いまここへ』 レポート

アートプロジェクト「ACKT(アクト/アートセンタークニタチ)」は2021年度からスタートし、国立市内外で様々な企画を展開しています。
2023年7月2日(日)、国立市にある公共施設「矢川プラス」にて、既存の枠組みに捉われないまちなかでの活動やアートプロジェクト、文化や芸術の可能性に触れるラーニングプログラムとして、映画『ラジオ下神白(しもかじろ)―あのとき あのまちの音楽から いまここへ』(監督・撮影・編集:小森はるか/2023年/70分)の上映会を開催しました。

実際にアートプロジェクトを展開してきた文化活動家・アサダワタルさんをゲストに迎え、福島県いわき市の復興公営住宅でのプロジェクトの様子を収めた映画の鑑賞後、アフタートークとしてアサダさんが登壇し、映画と同時期に制作された音楽作品『福島ソングスケイプ』にも触れながら、プロジェクトの進め方や考え方についての知見を共有しました。

|映像と音楽でプロジェクトを追体験する
最初にACKTの説明とアサダさんの紹介が行われ、上映会がスタートしました。
映画では、2011年に起こった東京電力福島第一原子力発電所事故によって避難してきた方々が暮らす、福島県復興公営住宅・下神白団地を舞台に、2016年より行われているアートプロジェクト「ラジオ下神白 あのときあのまちの音楽からいまここへ」(以下、「ラジオ下神白」)の様子が描かれています。

上映中の様子

もともと「ラジオ下神白」はアーツカウンシル東京が行う被災地支援事業「Art Support Tohoku-Tokyo(ASTT)」の一環として開始したものでした。
ラジオといっても実際に電波に乗せて放送を行なっているわけではなく、下神白団地の住民の方々にまちの思い出と馴染み深い曲「メモリーソング」について話を聞き、それをラジオ番組風のCDとして編集し、団地内限定で200世帯へ一軒一軒届ける、というのがプロジェクトの内容です。ときには再生機器を持っていない方にラジカセを貸し出して聴いてもらうこともあったそうです。
劇中では住民の方々との対話や音楽を通して、心を通わせていくアサダさんやプロジェクトメンバーの姿が描かれていました。
「ラジオ下神白」の活動を3年ほど続ける中、2019年の7月に結成されたのが「伴奏型支援バンド(BSB)」。
同年12月に行われるクリスマス会にて下神白団地の住民の方々が歌うメモリーソングのバック演奏をするため、公募により集まった関東に住むメンバーで結成されたバンドです。団地に住む方々に向けて行われているプロジェクトではありますが、下神白団地から遠く離れた地でバンドが結成され、全く関係性のなかった人々につながりが生まれるというのはアートプロジェクトならではかもしれませんね。
アサダさん達の地道な活動の成果もあり、12月のクリスマス会では、それまで一度も集会所に来たことのない住民の方も足を運び、多くの方々で会を楽しまれたそうです。
その後はコロナ禍の影響もあり、なかなか下神白団地に行けない日が続いたそうですが、そんな中でもオンラインで住民の方々との交流を続け、「メモリーソング」のミュージックビデオの制作やオンライン報奏会の開催など、アサダさん達と住民の方々の交流は今も緩やかに続いています。

|キーワードは伴走(奏)
上映後のアフタートークでは、冒頭でも紹介したプロジェクトディレクターのアサダワタルさんとアーツカウンシル東京のプログラムオフィサーとして「ラジオ下神白」のプロジェクトに携わっていた佐藤李青さんが登壇しました。
アフタートークの様子

アフタートークの中では、なぜラジオというメディアを利用したプロジェクトを行うことになったのか、理由が語られました。
アサダさんが下神白団地でのプロジェクトの話を持ちかけられたのは団地ができてから2年目のこと。下神白団地では「ラジオ下神白」以前にも、復興支援活動としてお祭りや集会所を利用した住民の方々の交流イベントは行われていましたが、自分から集会所に顔を出すのが難しい人や人の多いところが苦手な人、家から出ることができない人など、住民の中にはイベントを開催しても参加できない方がいたそうでうす。今までのような方法では住民一人ひとりと向き合うことができない、という課題が見え始めていました。復興支援としても、イベント型のものから住民の方々の生活に寄り添った活動へと移行するタイミングなのではないか、という話があったことから、アサダさんたちが考えたのが「ラジオ下神白」でした。

一人ひとりと向き合い、寄り添い、活動を行う「ラジオ下神白」のプロジェクトには、バンドの名前にも入っているように「伴走(奏)」というキーワードがあるように思います。
伴走とはマラソンなどで走者の近くで一緒に走ることをいいますが、アサダさん達の活動からはまさに音楽を軸に住民の方々の隣に立ち、一緒に歩みを進めていくような伴走の姿勢を感じました。
そのような姿勢で活動を続けた結果として、「伴奏型支援バンド(BSB)」の結成やオリジナルのミュージックビデオ制作など、おそらくメンバーもプロジェクト開始当時は想像していなかったような展開につながっていったのではないかと思います。
最後にアサダさんが下神白団地のみなさんとともに制作されたCD『福島ソングスケイプ』に耳を傾けながら、上映会は終了しました。

|それぞれの立場の人の言葉を翻訳する
上映会終了後にはACKTの活動への意見交換会として、アサダさんやACKTメンバー、国立市役所の職員、市民の方々を交えたトークセッションが行われました。
トークセッションの様子

トークセッションでは「ラジオ下神白」やACKTの活動だけでなく、アートプロジェクト全体について、参加者から様々なお話を伺うことができました。

「自分の住んでいるまちだけど、文化的な活動に参加していくイメージが湧かない」
「市から発信されるイベントなどの情報は、自分から探しに行かないと受け取ることができない」
意見交換を進める中で、こんな言葉が参加者から上がりました。
意見をくださった方のみならず、自分の生活の中で「文化に関わる」ということがイメージできない人は世の中に大勢いるのではないかと思います。
情報を発信する側は、一度その事実まで立ち戻って、活動の広め方や情報を届けたい相手が誰なのか、などを再考する必要があるのではないか、とアサダさんは言います。
例えば兵庫県伊丹市にある市立劇場では、劇場でのイベント情報を広く市民の方へ受け取ってもらうために、それまで劇場でのイベント情報のみを淡々と掲載していた広報誌をまちの居酒屋などへ取材した内容などを一緒に掲載するなど、市民の生活に寄り添った情報を積極的に取り入れた内容へと大幅にリニューアルしたそうです。
まちの情報を入れることにより、施設からの一方的な発信ではなく、取材した相手やそのお店に通う人などと人と人同士のつながりが生まれ、文化的な活動がより身近なものとして感じられるようになったことで劇場へ足を運ぶ人も増えたようです。
この劇場の例と同じく、アートプロジェクトも関わっていない人からすると、自分の生活と結びつかなかったり、そもそもどんな活動を行っているのか想像がつかないことで、自分自身がそこへ関わっていくイメージができない部分が多いと思います。
少しでもイメージのできなさ、分からなさという部分をなくしていくのが、情報を広く届ける鍵なのかもしれません。

どのまちでも、現場で実際に動いている人と行政(政策の領域)には距離を感じる、という話も上がりました。
そういった課題に対しては、どちらの立場にも属さず、それぞれの立場の人たちの言葉を翻訳する人が必要になってくる。アートプロジェクトであれば、うまく混ぜ合わせてアプローチしていくことができるのではないか、とアサダさんは語っていました。

「ラジオ下神白」のプロジェクトを起点に、アートプロジェクトを通じてまちとどのように関わっていくのか、さまざまな意見交換を行い、トークセッションは終了しました。

今回のラーニングプログラムでは、福島県いわき市で行われた「ラジオ下神白 あのときあのまちの音楽からいまここへ」の事例を映像と音楽、トークで紐解きながら、アートプロジェクトへの理解を深めていく時間を来場者の方々と共有することができました。

text : Ryo Ando
photo : Kensuke Kato

遊◯地|URBANING_U ONLINE レポート3

前編はこちら:遊◯地|URBANING_U ONLINE レポート1
中編はこちら:遊◯地|URBANING_U ONLINE レポート2


「URBANING_U ONLINE」最後のプログラムとして、DAY2の後半に、mi-ri meterの宮口明子、笠置秀紀両名と、一般社団法人ACKTの丸山、加藤によるオープンミーティングを行いました。

———

笠置|mi-ri meter
2日間のこれまでのプログラム、お疲れさまでした。
まず、簡単にACKTの活動について教えてください。

丸山|ACKT
ACKT(アクト/アートセンタークニタチ)は、東京都と国立市、公益財団法人くにたち文化・スポーツ振興財団、アーツカウンシル東京、そして一般社団法人ACKTの5団体が協定を結んで動かす、アートプロジェクトのプラットフォームです。国立市の中で文化行政的な役割をアートプロジェクトとして担っていくようなプロジェクトの運営やそれに関係していくような活動ができないか、ということを考えて行っています。
一般社団法人ACKTは、この実働のために立ち上げた法人で、僕と加藤の2人が中心となって行っています。今回のURBANING U ONLINEのプログラムも、ACKTが事業の一環として主催、運営しています。

笠置
お二人のバックグラウンドについても教えてもらえますか?

丸山
僕自身はもともとグラフィックデザインを中心に仕事をしていました。現在はギャラリー兼ショップの運営や企画やディレクション、あと千葉市美術館という公立の美術館のミュージアムショップの運営なども行っています。その仕事の中で、アーツカウンシルと関わることもあり、今回こういう団体を立ち上げた、という感じです。

加藤|ACKT
僕は、まちづくりに関連したコンサルタント業務やデザインを主に取り組んでいます。仕事ではありませんが、国立市内で、「国立本店」という30人程度で運営する本とまちをテーマにした、サードプレイスのような場の運営も行っています。2人も自身の会社を国立市で持ちながら、一般社団法人ACKTを立ち上げています。

つまらないまち

笠置
今回行ったURBANING_Uは、普段見えないもの、無意識の感覚のようなものが顕在化するプログラムだと思っていて、プログラムを通じて、国立市の文化的な層の厚さも見えた気がしています。実際に国立市の「文化度」のようなものはあるんでしょうか。

加藤
国立市は、北側にJR国立駅を起点に広がる学園都市エリアがあり、一橋大学のメインキャンパスや桐朋学園、都立の国立高校などの有名校があります。その南側には富士見台という団地が東西に連なるエリアがあり、さらにJR南武線や甲州街道よりも南側には、古くからある谷保天満宮や田畑の広がる谷保エリアがあります。8.15㎢という小さな面積の中に、すごく分かりやすい時代のグラデーションがあるのが特徴です。
一般的に国立市といえば、学園都市エリアを思い浮かべる方が多く、昔から「文化的」と言われるのもこのエリアだと思いますが、谷保エリアは昔からの伝統があるし、地域を知らない新住民も増えている中で、何をもって「文化度」というのか、尺度が分かりづらいかもしれません。

笠置
そうなんですね。谷保は、結構住んでみたいと思うエリアです。学園都市エリアは元々は別荘地として開発された場所で、上質な学園都市であるというブランドイメージがしっかりある。
宮口さんは、このプロジェクトの視察でまちを歩いた時の印象はどうでしたか?

宮口|mi-ri meter
学園都市エリアをちょっと回ったんですけど、一番最初は「つまらないまちだな」と感じました。と言うのも、すごくおとなしいというか、何も周りに滲み出していないお行儀の良いまちみたいな印象があって。あまり人の営みや気配みたいなものが感じられなくて、ちょっとさみしいな、つまらないな、というのが印象でしたね。

笠置
でも、国立市から参加してくれた皆さんのURBANING Uの活動を見てからは、どうでした?

宮口
皆さんの活動を見て、私は国立市の一部分しか見ていなかったんだなと思いました。生活の気配が滲み出ているような場所を見つけている人もいたし、3つのエリアで全然違う文化が混在しているという意味でも興味深かったです。

笠置
計画的にキレイに作られた街でいうと田園調布とかもイメージが近いですね。国立市は街の骨格が非常に優れているから、同様のフレームを感じますが、実際に歩いてみると全然違う景色が見えて来るのは面白かったですね。

丸山
mi-ri meterの2人が最初に歩いたのは、JR国立駅南口の大学通りの界隈で、意図的に生み出されたザ・都市計画なエリア。90年くらいしか歴史がない場所なんです。例えば道は、人間の生活や営みの中で自然発生的に生まれていくものなので、その背景が想像できたりします。ただ国立市は、元々雑木林だったところにいきなり街をつくったから、歴史的な背景が読み込めない。宮口さんの「つまらない」という感想は、そういうところから出てきているのかなと思いました。
一方で、国立市には大きい公園がないので、市民は緑地帯の広がる大学通りや一橋大学の構内などを、公園の代わりとして使っています。公道のすぐそばの緑地帯で比較的自由に散歩している人や遊んでいる人やお花見をしている人がいたり、楽器の練習をしている人がいたりする。割と自由で開放的な、何をやっても許されるような雰囲気もあるのかなと思います。

国立の人 

笠置
そっか。僕は国立市って、マンションの建設で運動があったり、まちを大事に思う人たちがいるイメージがあったんですけど、一方で屋外で音楽を演奏する人がいて、それに対しての寛容性もあるというのは、全然知らなかったです。住んでいる人だからこそ見えてくる、「ゆるさ」みたいなものがあるのかな。
また、国立には面白い人が多いイメージがあるんですけど、住んでいる人に関してはどうですか? 

丸山
どういうレイヤーの人と普段接しているのかにもよると思うけど、結構色んな人がいるな、とは思いますね。国立や立川、八王子などは、都心で働いている人がいわゆるベッドタウンとして住んでいることはもちろん多いですし、加藤や僕もそうですけど、自分で事業を行う個人事業主とか会社を持っている人なども、比較的多いと思います。また、中央線沿いは元々、ヒッピーカルチャーが強いんですよ。国分寺や高円寺から流れてきたヒッピーカルチャーが国立にも結構根ざして活動をしている人もいます。本当に多様な人が住んでいるイメージがありますね。

加藤
あと、市民の自治意識が高いというか、時には自治体を差し置いて、市民の方々が自分のまちのことを考えて行動しているケースも多い。分かりやすい分野では、子育てや高齢者のケアなど。自分たちのまちを「自分ごと」にするための活動がかなり活発に行われているのは、国立市民の一つの大きな特徴なのかもしれません。

国立にかぶさるベール 

笠置
まちのイメージは外から見ると、メディアとかニュースとか、そういうものによる印象に隠れている気がします。例えばマンションを売る、不動産を売る、という時に、その商品のイメージはベールを被っていて、それが色んなことを複雑化している気がする。多分、同じ中央線沿いの吉祥寺もそうで、「住みたい街No.1」を謳っていて、あらぬイメージにどんどん覆われてくるところがある。僕は街を歩いていて、そういうイメージが非常に気持ち悪いなと思っています。

加藤
確かに今、国立のいわゆるハイソな感じは、ブランドイメージとして強いなと思います。国立駅の北側ってすぐに国分寺市なんですけど、マンションの名前をみると「〇〇国立」としてるものが多いんです。それは、国立のイメージをつけると売れるっていうのが大きいからだろうけど……ある程度このまちに住んでいる身からすると、必ずしも「ハイソ」な印象ばかりではないし、むしろもっと本質的な、ベールの裏側の部分を広げていきたいなという気持ちが強くなっています。ではどうすれば広げられるか? そういう視点を持つことが大切だと思ってます。

笠置
今の話に近い話を最近知ったんですけど、ブランドでその土地を選んだ人よりも、しょうがなくそこに住み始めた人の方が幸福度が高いらしいんです。ただ一方で、ブランドでその土地を選んだ人も住み続けているうちに、その土地の真の姿などに触れていくと意識が変わっていくんじゃないかなとも思います。

宮口
イメージ先行だと、一番そのまちのハードルが上がっている状態だから、あとは下がっちゃうってことだよね。しょうがなく住み始めた人はそんなに期待してなかったけど、住むうちに良いまちだなと思い始める。その差だなんじゃないかな。

笠置
うん、それはあるかもしれない。

丸山
僕は国立に住み始めた頃は国立駅の近くに住んでいたんですけど、谷保に興味を持って、古い商店街の方に引っ越しました。そこに住み始めた最初の頃、その商店街に何十年も住んでいる中華料理屋さんの人に「どこから来たの?」って聞かれたので、以前は国立駅に住んでいたと伝えたら、「なんでこんなところに引っ越してきたの?」とすごい言われて。僕は住むなら谷保の方が面白いと思って選んだんですけど、昔から住んでいる人たちは、必ずしもそこに住みたくて住み始めたわけじゃないみたいなんですよね。多摩地域では、東京の都心部と多摩地域のギャップがあって「多摩格差」みたいな謎の言葉が生まれてもいますが、それと同じようなギャップや情報の格差など、色んな差が国立市の南と北でもあるのだと実感した機会でした。

笠置
谷保と同じような、都心部から少し離れた自治体に住んでいる人の話しを聞くと「ここは何もない場所だから」ということをよく言うんだけど、実はその土地の幸せなモノをよく知っていたりする。そういう魅力は、もう少し見つけられたら良いなと思いますね。国立も谷保の魅力を掘り返してみたら、すごく面白そう。

宮口
参加者の感想でも、自分の地元は雪が多くて嫌いだったけど、URBANING_Uに参加してこれまでと違う視点でまちを見直すことで、愛情が湧いた、違う視点で見れたと言ってたよね。谷保エリアでURBANING_Uをやっても面白いかもしれない。

笠置
うん、良いかもしれないね。ちなみに加藤さんはどこ出身なんですか?

加藤
生まれは名古屋で、育ちは神奈川県伊勢原市です。一人暮らしを始めてからは、大田区の雪が谷大塚や、世田谷区の千歳船橋にいました。

公共性のありか 

笠置
国立に引っ越してきて、どうでした?

加藤
当時は自分以外の人が運営していた「国立本店」の活動に参加したことが、そもそも国立市にきたきっかけだったんですけど、それをきっかけに短期間で色んな人と知り合うことができて、知り合いが増えるとまちの見方も変わってきて。国立の良いところも微妙なところにも気づけていけたのは面白かったです。

笠置
生活者の視点に加えて、まちづくりの視点ではどう捉えてますか?

加藤
国立駅前に「旧国立駅舎」建物があります。15年ほど前までは現役の駅舎だったもので、中央線の高架化に伴って解体が議論されたそうですが、同時に駅舎の保存運動の動きも大きくなったそうです。解体はされたけど、使われていた部材を丁寧に保存しておき、市民や企業などから集まった多額の寄付(ふるさと納税)も活用して、昨年、おおよそ元の位置に再建され、まちの情報発信拠点として開業しました。
この話自体は本当にすごいことです。一方で、僕を含めた外から来た人間や若い世代は、そのプロセスの当事者ではないので、大なり小なり距離がある。新しいシンボルとして存在していくのだから、ノスタルジー以上の可能性に目を向ける必要はあるんじゃないかと思っています。そしてこれは、旧国立駅舎に限らず、まち全体に言えることなんじゃないかと。次世代の交わる公共性は何だろうかと思います。

笠置
確かに、旧国立駅舎は、市民のシンボルのような呼ばれ方もしてますよね。「シビックプライド」と言われるものなんですが、市民にとっての心の拠り所になっている。だけど、一部の市民だけの所有物になっていくと良くない。もう少し、通勤してこのまちに来ている人や、通学してきている学生などもつながれるような公共性があったほうが良い。そういった声がまちのつくられ方にも反映されていくと良いですね。また、まちづくりが都市計画のためだけではなくて、もっと商業者や、生業を持っている人が入りやすくなると良い。

5人の関わりしろをつくるアートプロジェクト 

笠置
話題を少し変えて、アートプロジェクトにはどんな役割があるのか、ということも、もう少し深掘りしたいな。

丸山
基本的に僕はデザイン出身なのですが、デザインの仕事でアーティストと関わることや、アーティスト・コレクティブのようなゆるいつながりでアーティストと関わることも多くあります。そのようにアーティストと深く関わるようになって感じるようになったのは、デザインとはものごとの進め方が違うということでした。デザインでいうまちづくりのあり方は、合理性が高く、答えを求めたがるもの。経済合理性や、最大公約数的な幸せのあり方などが求められることが多くて、ある程度想像ができてしまうまちづくりになってしまいがちです。
一方でアートプロジェクトでは、答えが出ないようなもの、答えが出るまでに期間が長くかかってしまうもの、ともすれば答えの出ないようなものも多い。でも、ある人にはすごく刺ささることや、個人が強く思うことなどを、プログラムとして社会の中に実装していくことができる。
自分自身もデザイナーとしての経験があるからこそ、ACKTでは最初から答えを求めるような取り組みはしたくないと思っています。ACKTは東京都や国立市と協定を結んで進めている取り組みですが、明確なゴール設定がないという前提を受け止めてもらいながら進めていくことができれば、お互いに豊かな経験になるのかなとは思っています。 

笠置
今、アート思考と呼ばれるものがビジネスの現場で有用である、みたいなことが言われているけど、それって突き詰めていくと結局デザインになってしまうと思うんです。非線形のような、何が起こるかわからない今の世の中にあって、答えにならないようなことを、柔軟に永遠に考え続けられるシステムみたいなものがアートなのかなとは思います。

丸山
デザインって、モダンデザインの文脈から入っているものが基本的に多いと思うんです。だから、システマチックなもの、合理主義なものが必然的に多くなっているんですが、、それだけだと解決できないことが増えてきているという印象はあります。

笠置
行政は年度単位で結果を出さないといけないから、アートプロジェクトを進めるにもどうやって辻褄を合わせていくのかは考えないといけないことだと思います。多くの地域で実際に苦労していることだと思うけど、どう考えていますか? 

加藤
国立市でのアートプロジェクトは先例があって、英国のアーティスト、ルーク・ジェラムによるストリートピアノをテーマとした「Play Me, I’m Yours」が、文化・スポーツ振興財団主催で2018年に開催されました(くにたちアートビエンナーレ2018の一環で実施)。プログラムの使用権を購入して実現したものです。地域の方から10台のピアノを寄付していただき、それを10組のアーティストが装飾し、2週間程度、まちの中に置いておくというプログラムです。その間の2週間は街に音楽が溢れて、自主的にバイオリンを持ってくる人が出たり、ピアノと共に歌う人がいたり。多くの地域の方々が街の活動に参加している、自分たちがまちを作っているという雰囲気が出ていました。当時を知る国立市民の頭には「またあの企画をやってほしい」という記憶が刻まれていると思います。

丸山
「Play Me, I’m Yours」は僕が一般社団法人ACKTとは別でやっている会社で企画運営を担当したので、国立市の中ですごく評判が良かったことを知っています。このアートプロジェクトをやったことで、当たり前だけど国立市の子育ての問題が解決したわけでもないし、社会的な問題が直接的に解決したわけでもないんです。でも、このプロジェクトに関わった人たちの中で何かが変わったりとか、街の中でこういうことができるんだっていうことで何か意識が変わったりとか、そういう息の長いものになる可能性があるのだなと実感は持てました。ただ、それを行政がどう「評価」するのか。
今年度、加藤と一緒にいくつか他の地域の事例リサーチに行って、そこでアートプロジェクトの運営をしている人たちにインタビューをしてきました。アートプロジェクトの「評価」に対して、同じようなことを言っている人たちが多かったのが印象的です。例えば「このプロジェクトの本当の効果が出るのは20〜30年後です。だから、この場所でしかやらないです」という話がありました。場所を変えてやるとどうなるんですか? と聞いてみたら、「そうすると成果が出ない」「分かりづらくなるからやらない」そうです。道筋も違えば、到達点も違うものの「評価」って、やっぱり難しいですよね。

笠置
これまでの行政の政策では国立市の7万人を救えるサービスをつくれない中で、アートプロジェクトはもしかしたら、5人救えるかどうか。でも、アートに触れると確実に救われる人はいて、ただめちゃめちゃ効率は悪い。笑 でもそれが面白いことでもあるんだよね。
例えば、図書館で救われてる人って何人いるんだろうとか、そういうことを考えていくと、非常に文化や人間のメンタルなどを支えるにはコストがかかるんだなと感じます。社会福祉もそうだと思うんだけど。その辺りをアートプロジェクトなどで救えるといいなと思いますね。

丸山
URBANING_Uのエクササイズプログラムを通した体験と同じで、僕らがやっているACKTも、「アクトしていく」「アクションする」「動いていく」といったイメージがあります。僕ら自身はもちろん動いているんですけど、これから国立市の中でさまざまなプロジェクトを行っていく中で、関わってくれる人とつながって、またその人たちが僕らとは全然違うプロジェクトなどを立ち上げて、また広がって……そういう「関わりしろ」を増やしていきたいと考えています。
今話している高架下臨時スタジオは、JRの高架下にある広い空き空間を借りて行ってます。「遊◯地(ゆうえんち)」と名付けた取り組みの一環としてやってるんですけど、遊休地になっている場所を、アートプロジェクトを介して活用していけないかなと思っていて。「遊◯地」に何らか関わってくれる人を、僕らはCAST(キャスト)って呼んでいこうと思っていて、そのCASTの皆さんとこれから色々なプロジェクトをしていきたいなと思っています。 

笠置
色々な可能性がその◯の中に代入されるってことですよね。「遊◯地」、いい名前だなと思います。
エズラ・パウンドっていう詩人がいて、その人が「芸術は人類のアンテナである」と言っていて。アンテナを張って、世の中を探って、何かを見つけてくるような役割がアートプロジェクトにはあるのかもしれません。まちがこれから新しくなっていく時に、役に立つ何かを見つけてくるような力があるのかなと思いました。
オープンミーティングにご参加いただき、ありがとうございました。

———

国立市内で参加者がWORKを行う中でも、多くの余白や可能性が見出されていました。私たちがメインの取り組みの名称を「遊◯地」としたように、まちの中でまだ見ぬ人も含め、多くの人の「◯=関わりしろ」をつくっていき、これまでとは全く違った視点でまちを見つめ直し、「アクトしていく」環境を生み出していきたいと改めて感じる機会となりました。

 

artist:mi-ri meter(ミリメーター)

宮口明子、笠置秀紀によって活動開始。建築、フィールドワーク、プロジェクトなど、ミクロな視点と横断的な戦術で都市空間や公共空間に取り組む。日常を丹念に観察し、空間と社会の様々な規範を解きほぐしながら、一人ひとりが都市に関われる「視点」や「空間」を提示している。宮口明子、笠置秀紀によって活動開始。建築、フィールドワーク、プロジェクトなど、ミクロな視点と横断的な戦術で都市空間や公共空間に取り組む。日常を丹念に観察し、空間と社会の様々な規範を解きほぐしながら、一人ひとりが都市に関われる「視点」や「空間」を提示している。

text : Kensuke Kato, Ryo Ando
photo : Yuki Akaba, Kensuke Kato

 

遊◯地|URBANING_U ONLINE レポート2

前編はこちら:遊◯地|URBANING_U ONLINE レポート1

街と対峙するエクササイズプログラム

DAY1当日、エクササイズプログラムとして、参加者は「URBANING U_KIT」を手に、それぞれの自宅またはオフィスなどを拠点として、常時Zoomミーティングに参加しながら、mi-ri meterからの指示のもと、拠点やまちなかでのワークを実施しました。以下がWORKとして出された指示の一覧です。

WORK1
普段登らない場所に登りなさい。
普段通らない場所を通りなさい。 

WORK2
あなたの定点を探しなさい。

WORK3
その定点を掃除しなさい。

WORK4
普段使っているものを定点にそっと置きなさい。

WORK5
そこに種を植えなさい。

プログラムでは、WORKごとに拠点を出発し、まちの中で指示を実行し、拠点に戻ります。その間は基本的にまちと対峙する「わたし」の時間です。雪が積もり、歩道に変化が生まれている札幌、雑居ビルが林立する新宿、繁華街が広がる神戸、周囲を木々に囲まれた大分の集落。各人の体験は、各々の記述と共に携帯端末などの動画によって共有・記録されるほか、常時「高架下臨時スタジオ」のスクリーンに映し出され、同じ指示の基、異なる環境下で、時にスタジオにいるmi-ri meterと対話しながらWORKが続いていきました。

例えば、新宿の雑居ビルを登る時、非常階段を一段ずつあがる不安感は、周囲の建物よりも高い5階以上になると、自然と消えていった。木の上に登ろうとしたら、体が重くて難しかった。花壇の上に登ったり、橋の欄干に掴まって歩いたり、普段と違う行動をとることは、周囲の視線が非常に気になる行為だと気付いた。定点とした場所を掃除したら愛着が生まれた。指示に従ってWORKを行うことで、普段は意識していない、まちと自身の関係性が浮き彫りになっていきました。

DAY2の前半はレビュートークとして5つのWORKを通して感じたことや見えてきたものについて、参加者の内の6人が、それぞれの視点からディスカッションを行いました。プログラムには、今年度から一般社団法人ACKTのスタッフになった安藤涼が国立市で現地参加をしていました。ここからはDAY1の体験や、DAY2でのディスカッションについて、安藤によるレポートをお届けします。

———–

こんにちは。ACKTの安藤です。
URBANING U ONLINE、DAY2の前半はDAY1のプログラムに参加した方々のレビュートークを行いました。今回はその時の様子を、プログラムに参加した私自身の感想も交えながらお伝えします。

「大人のテリトリー」「子供のテリトリー」

今回のプログラムはオンラインで行われたため、全国から参加者が集まりました。札幌から1名、東京からは開催拠点である国立から2名、小金井から1名、新宿から2名、神戸から1名、大分から1名の計8名が参加したプログラムとなりました。それぞれ違う場所からの参加でしたがDAY1の振り返りを行う中で「子供の頃を思い出した。」という共通のワードが上がってきました。

私自身も[WORK2 あなたの定点を探しなさい。]の「地図を見ずに、感覚で街を彷徨いなさい。」という指示に従い、街の中で落ち着けるポイントを探して歩いている時に、小学生の頃に家の近所で秘密基地になる場所を探して歩き回っていたことを思い出しました。当時は、街中を路地の奥まで探検してみたり、草が生え放題の空き地に飛び込んで行ったり、使われていない空き家に侵入したりしていました。

そういえば、成長するにつれて路地裏などの道以外にはあまり目がいかなくなった気がします。そんな大人と子供の違いを参加者の1人が「テリトリー」というワードで説明していました。

国立から参加したAさんは「家の近所に大きな木があり、よく小学生がその木に登って携帯ゲームをしている」という話をされました。今回のWORKの中で自分もその木に登ってみようとチャレンジしたところ、体重や体力などの関係で全く登れなかったそうです。街の中には物理的に子供だけしか行けない場所も存在する、ということですね。

このように街には、「大人のテリトリー」「子供のテリトリー」そして「動物のテリトリー」があるという話になりました。それぞれ街を歩くときの目線や視点、目的が違うのでそこから見えてくるものも結果的に違ってくるということなのかな、と話を聞きながら考えていました。

テリトリーの話題の中でもう一つ面白かったのが「自分」と「他人」のテリトリーの境界についてです。その話をしてくれたのは、新宿から参加したHさんです。

Hさんは[WORK1 普段登らない場所に登りなさい。普段通らない場所を通りなさい。]の中で、雑居ビルの非常階段を登ってみたそうですが、「普段であれば絶対にこんな事はできなかった、今回のプログラムの中で『WORK を行う』という設定を与えられたことで行動することができた。」と言っていました。確かに、私自身もプログラムに参加している、与えられた役を演じている、というある種の言い訳があったからこそ、普段は行けないような場所に行くことができたのかなと思いました。

また、Hさんは「今回行けた場所には今後も平気で行けるようになった、自分のテリトリーが広がった。」とも話してくれました。他人のテリトリーだと思って踏み込めなかった場所も一度行ってしまえば、意外と平気だったな。という気持ちになることってありますよね。案外、自分のテリトリーを狭めてしまっているのは、自分自身の気持ちの問題だけなのかもしれません。

1人で見る景色、2人だから見える景色

札幌から参加したMさんは雪が積もる中、1本の木を定点としてWORKを行っていました。

[WORK3 その定点を掃除しなさい。]では、木のそばに置いてあったスコップを使い、周りの除雪を行なったそうです。「1人で除雪をしていたので、そばの道路から続くように道を作るくらいしかできなか った。もし2人とかでやっていたら道を作るだけでなく、もっと大胆なことができたと思う。」と話していました。私もこのプログラムに参加している時、何も悪いことをしているわけではないのに周りの人の目が気になって行動を躊躇う場面があり、自分で思っているよりも普段から人の目を気にして生きているのだなということを強く感じました。

「1人」「2人」というキーワードが出てきましたが、プログラム参加者の中には同伴者と参加した方もいました。

神戸から参加していたHさんは、小さなお子さんと一緒にWORKを行い、自分と子供の感じ方の違いを楽しく体験していたようでした。私がHさんのお話のなかで興味深かったのは、[WORK1]の際、子供が凹凸の多い家の塀にしがみついて登ろうとしているところを、通りすがりの人が「頑張れ~」と応援してくれた、というものです。大人がやっていたら 100%不審に思われるような行動ですが、子供が同じことをすると、怪しまれないどころか応援される行動に変化するというのは面白い気づきでした。対象が大人か子供かによって観察者の捉え方が変わってしまうのは、無意識に見た目で人を判断してしまっているということかもしれません。

また、大分から飼い犬と共に参加していたFさんは、犬の自由な行動を観察するのが面白かったそうです。突然川の中に飛び込んだり、本能のままに行動する姿は、人と一緒に行動するのとはまた違った面白さがあるでしょうね。Fさんも真似して川の水を触ってみたら、想像よりも温かかったそうです。そういった自分1人では見つけられなかった発見ができるのも、2人で行動する醍醐味かもしれません。1人だからこそ感じられることもあれば、 2人いるから見える景色もある、今回のプログラムに参加して改めて気付かされました。

パブリック空間と自分

自分の定点を決める時に参加者に共通していたのが、「座れる場所」を基準に探していたということです。公共空間で自分がくつろげる場所を見つけようとすると、座って落ち着きたいという気持ちが出てくるのでしょうか? 参加者の話しを聞いていると「座れる」というワードと共に、体の一部を「隠したい」というワードも出てきました。新宿のHさんは、定点を人通りの多い道の植え込みのような場所にしていました。「人通りが多い中で靴を脱いでくつろいだりするのは恥ずかしかったけど、座ると足元が隠れるので少し安心できた」そうです。そういえば、普段の生活の中でも、電車の端っこの席に座りたいなど、体の一部を守れるような場所を探している気がします。人間は本能的に体の一部を隠せると安心できるのでしょうか?

また、[WORK4 普段使っているものを定点にそっと置きなさい。]の「まず遠くから 10 分(定点を)観察しなさい。」を行う際に、国立のAさんが「自分の定点は道路に面している場所だったので、少し離れた歩道から観察をしないといけなかった。ただ立ち止まって観察するのはすごく恥ずかしかった。」と言っていました。ただ、ガードレールに背をもたれたり、携帯を見るフリをしてみたところ、恥ずかしさが和らいだそうです。

私自身も定点を観察する際、犬の散歩をしているおばあさんからずっと訝しそうに見られてドキドキしていたので、Aさんの気持ちがとてもよく分かりました。A以外にも人通りの多いところでプログラムに参加していた人は全員、周りの視線を気にしながら活動していたのではないかと思います。

今回は URBANING U ONLINE の体験レポートをお届けしました。プログラムを行う場所はバラバラでしたが、参加者が共通した感想を持っていたり、それぞれの視点からしか見えていなかったことを共有できたことが面白かったです。私は今回のエクササイズを通して、街と自分の関わり方について考えたり、参加者同士の会話のなかで新しい発見があり、街への視野が広がった濃厚な 2 日間を過ごすことができました。また、国立で「URBANING_U」 を行う際はぜひみなさんも参加してみてください。

後編では、DAY2のプログラムの様子をレポートします。

 

artist:mi-ri meter(ミリメーター)

宮口明子、笠置秀紀によって活動開始。建築、フィールドワーク、プロジェクトなど、ミクロな視点と横断的な戦術で都市空間や公共空間に取り組む。日常を丹念に観察し、空間と社会の様々な規範を解きほぐしながら、一人ひとりが都市に関われる「視点」や「空間」を提示しいている。宮口明子、笠置秀紀によって活動開始。建築、フィールドワーク、プロジェクトなど、ミクロな視点と横断的な戦術で都市空間や公共空間に取り組む。日常を丹念に観察し、空間と社会の様々な規範を解きほぐしながら、一人ひとりが都市に関われる「視点」や「空間」を提示している。

text : Kensuke Kato, Ryo Ando 

photo : Yuki Akaba

 

遊◯地|URBANING_U ONLINE レポート1

ACKTの活動地である東京都国立市では、空き家や空き店舗、活用されていない畑、住宅街の一角にある公園、あまり使われていない公共空間などが点在しています。「遊◯地」は、そのようなまちの中で当たり前になった風景、使われていない場所などをまちの余白(◯)と見立て、本来とは全く異なるアプローチで使うことで、これまでになかった新しい光景や交流を生み出すきっかけをつくる取り組みです。

この「遊◯地」のパイロット企画として、2022年3月19日(土)、20日(日)の2日間開催した「URBANING_U ONLINE」について、全3回にわたりレポートします。

「遊◯地」の取り組みを実施するにあたり、最初に選んだ場所が、JR中央線の国立駅から立川駅の高架下空間。JR関連会社の事務所、自転車置き場や体操教室、プログラミング教室、コンビニエンスストアなどが点在しているものの、まだ具体的な活用方針を持たない、動きのない空間が多く残っています。通学や通勤などで使う人、散歩をしている人、自転車でせかせか走り抜ける人……往来がある一方で、行動の余白のない連なりとなっていることが分かります。高架下空間に何らかの可能性を見出せたら、人の動きに変化が生まれるのではないかと想像できました。

わたしとまちとの関係性を見つめ直す

この場所で最初の「遊◯地」をはじめるにあたり、声掛けをしたアーティストが、宮口明子、笠置秀紀によるユニット、mi-ri meter(ミリメーター)。日常を丹念に観察し、空間と社会の様々な規範を解きほぐしながら、一人ひとりが都市に関われる「視点」や「空間」を提示する活動を各地で行っています。

mi-ri meterと共にこの界隈のリサーチを行い、議論した結果、今回に適したプログラムとして提示されたのが「URBANING_U 都市の学校」でした。「制度や慣習によって絡みあった社会的枠組みを解きほぐし、自らの空間を取り戻す。わたしと都市の距離を縮める試み。」として、過去に数度、東京や大阪の都市で実施されたもの。mi-ri meterからの指示に沿って、まちを巡り、mi-ri meterと対話をしていく中で、参加者自身がまちとの関係性を見つめ直すプログラムです。これは私たちが国立のまちの異なる側面に気づくきっかけにもなると期待されました。

オンラインで全国とつながるURBANING_U 

私たちが実施したプログラムは「URBANING_U ONLINE」。通常の「URBANING_U」は、参加者が現地に集合し、そこを起点にまちを巡ることになりますが、コロナ禍という現状を加味し、今だからこそできることを積極的に試みるため、あえてオンラインを通じて全国で同時参加できるプログラムに変更したものです。

国立市での参加+全国参加として2週間程度の公募をかけたところ、国立市だけでなく、札幌や京都、神戸、大分など、全国各地から8名の参加が決定。参加者には事前にmi-ri meterからインビテーションとして、”WORK”の指示書やワークカード、リアルタイムで一人称視点の映像をオンラインに繋ぐためのスマートフォンを同梱した「URBANING U_KIT」を送付しました(オンライン接続には会議アプリ「Zoomミーティング」を使用)。

「URBANING_U ONLINE」は2日間のプログラムで構成。DAY1は「エクササイズプログラム」として、参加者がZoomミーティングを介したmi-ri meterからの指示にしたがってまちを巡り(WORKし)、そこで感じたことを報告・意見交換。DAY2は、DAY1の”WORK”を参加者と共に振り返る「レビュートーク」と、mi-ri meterとACKTが「国立」「アート」などをテーマにこれからを展望する「オープンミーティング」で構成することとしました。

高架下に現れた大きなテントとスクリーン

当日、JR国立駅から7分程度に位置する場所に、何かが始まりそうな予感のする大きなテントを設置。国立市で参加する方も含め、自宅やオフィスからオンラインを通じての参加となることから、特製の大きなスクリーンを設置しました。
ここを「高架下臨時スタジオ」として、mi-ri meterとスタッフが待機。mi-ri meterからの指示に従い、各地の参加者がWORKを行う様子を常時スクリーンに映しだしていきました。

中編では、DAY1のプログラムの様子をレポートします。

artist:mi-ri meter(ミリメーター)
宮口明子、笠置秀紀によって活動開始。建築、フィールドワーク、プロジェクトなど、ミクロな視点と横断的な戦術で都市空間や公共空間に取り組む。日常を丹念に観察し、空間と社会の様々な規範を解きほぐしながら、一人ひとりが都市に関われる「視点」や「空間」を提示しいている。宮口明子、笠置秀紀によって活動開始。建築、フィールドワーク、プロジェクトなど、ミクロな視点と横断的な戦術で都市空間や公共空間に取り組む。日常を丹念に観察し、空間と社会の様々な規範を解きほぐしながら、一人ひとりが都市に関われる「視点」や「空間」を提示している。

text : Kensuke Kato
photo : Yuki Akaba, Kensuke Kato