まちとアートが距離を縮めた20年間(前編)|Breaker Project

東京都国立市内外の方とともに活動(ACT)し、まちとともに成長するさまざまなプラットフォームを育てることを目的とした団体である「一般社団法人ACKT」が、各地で実践されている文化芸術活動の担い手や活動、仕組み等について「場づくり」「体制」「アートプロジェクト」等の観点からリサーチ取材を行い、レポートにまとめました。

今回は、アートプログラム「Breaker Project」の取り組みを、全3回にわたりご紹介します。

大阪といえば思い浮かぶシンボル、通天閣。そこから南側に広がる西成(にしなり)エリアは“日本最大のドヤ街”とも呼ばれ、日雇い労働者向けの“ドヤ”という安宿や居酒屋が軒を連ねる、古くから労働者が集まる街として知られています。

高度経済成長期に生まれて今も続いているその風景は、西成ならではの文化としてYoutubeなどで話題になり、バックパッカーや外国人観光客が多数訪れるようになりました。

国内外から人が集まる一方で、地元の人々が静かに暮らす住宅街でもある西成。多様な側面を持つ西成のまちには、20年前からアートを取り入れた新しい動きが生まれていました。その動きは、西成の人、もの、場所を、ゆるやかに巻き込み続けています。

「芸術と社会を近づけたい」という想いから生まれたプロジェクト。

大阪・西成に拠点を置く「Breaker Project(ブレーカープロジェクト)」は、芸術と社会をつないでいくことを目的に活動する地域密着型のアートプロジェクトです。

その成り立ちは、さかのぼること20年前。通天閣の近くに、遊園地と商業施設が合体した伝説の娯楽施設「フェスティバルゲート」がまだ存在していた2002年、大阪市とNPOが協働する文化芸術施策として「アーツパーク事業」が生まれました。

Breaker Projectのディレクター、雨森信(アメノモリ・ノブ)さんは、アーツパーク事業に関わるNPO法人「記録と表現とメディアのための組織[remo]」のメンバーの一人でもありました。

「私は芸術大学の出身で、学生時代は“作る側”でした。作ることは楽しかったけれど、現代美術はあまりにも社会と切り離されている、と違和感を持つようになっていきました。展覧会に訪れるのはアート関係者がほとんどで…作品は売れるわけでもなく、大学に戻ってくる。そういった状況を見ながら、もっと社会と関わることがしたいと思うようになりました」(雨森)

現代美術と聞くと、どこか難解で自分たちの暮らしとかけ離れているように感じる人もいます。けれども、まちの人々が日常の中で現代美術に触れることは、新しい視点や価値観を広げるきっかけになるのではないかと、雨森さんは考えました。

Qenji Yoshida《来日》、会場の一つとなったカラオケ居酒屋ももえの展示風景、2022、
TRA-TRAVEL [Co-mirroring コ・ミラーリング] – 共にうつしあう-  / Breaker Project 2020-2021

 

「現代美術には、多様な視点から社会を批評的に見ていく要素が盛り込まれています。普段の忙しい生活から少し離れて、自分たちの暮らしや社会について考えたり、未来の社会を想像・創造していくためには、芸術文化は欠かせないものです。特に現代の美術は、現在を起点にしているわけですから、分かりにくいこともありますが、何か通じる部分もあるはずだと考えています。リアルな社会の中に、アートの側から接続していくための一つの方法として、まちの中で活動していくことを考えるようになっていきました」(雨森)

雨森さんは、既に社会と関わりながら活動していたアーティストたちと展開するプロジェクトを構想し、「芸術と社会をつなげる」現場としてBreaker Projectを企画。アーツパーク事業の市民還元事業という枠組みでスタートすることになりました。

作家とともにまちへ出かけるフィールドワークで、地域とのつながりが生まれはじめた。

Breaker Project発足1年目の2003年に行われた活動の一つが、造形作家の伊達伸明さんによるプロジェクトでした。

「伊達さんが2000年より取り組んでいる『建築物ウクレレ化保存計画』は、取り壊される建築物の記憶を持ち主に聞き取りながら、生活の痕跡が色濃く残る部分や特徴的なパーツを使ってウクレレを作るというプロジェクトです。ただ、特定のエリアでのプロジェクトとなった時、取り壊し物件を探すというのは地上げ屋みたいになるから(笑)、新世界の建物の記憶を取材しようということになって、半年以上かけて60軒の建物の聞き取りを行っていきました。その中で、取り壊し物件とも出会ってウクレレも2本制作しています」(雨森)

地域の人の個々の記憶を聞き取ることに重点を置いて進めていった結果、地域とのつながりが生まれていったといいます。また、もしウクレレを作るならということで、取材したそれぞれの建物の特徴的な部分を写真に撮って「絵札」を、取材時のエピソードから抽出された「読札」を60組作り、「新世界ウクレレかるた」が完成しました。

2年目となる2004年には、古くなったモノや空間に「色」を塗ることで再生させるアーティスト、Franck Bragigand(フランク・ブラギガンド)さんを招聘し、大阪に残る最後の路面電車「阪堺電車」の駅と車両をペイントするプロジェクトも行われました。

「1〜2年目の駆け出しの時期に、既にリアルな社会とダイレクトに関わりながら活動しているアーティストとプロジェクトに取り組めたことは、私たちにとっても大きな学びになっています。『新世界ウクレレかるた』ができるまでのフィールドワークでは、新世界エリアのお店やお家を訪ねて回り、もちろん断られることもあったけど、それをきっかけに新世界の人たちの関係性が少しずつ出来ていきました」(雨森)

作家とともにまちへ出かけるフィールドワークは、アートプロジェクトの第一歩として非常に有効で、有意義なものになるそうです。Breaker Projectの最初の2年間の活動は、地域の人々との距離がぐっと縮まるものになりました。

 

「まちとアートが距離を縮めた20年間(中編)」に続く

Interviewee : Breaker Project https://breakerproject.net/
Interviewer : ACKT
text : Yu Kato photo : Yuki Akaba