上映会『ラジオ下神白 ― あのとき あのまちの音楽から いまここへ』 レポート
2023.11.10
アートプロジェクト「ACKT(アクト/アートセンタークニタチ)」は2021年度からスタートし、国立市内外で様々な企画を展開しています。
2023年7月2日(日)、国立市にある公共施設「矢川プラス」にて、既存の枠組みに捉われないまちなかでの活動やアートプロジェクト、文化や芸術の可能性に触れるラーニングプログラムとして、映画『ラジオ下神白(しもかじろ)―あのとき あのまちの音楽から いまここへ』(監督・撮影・編集:小森はるか/2023年/70分)の上映会を開催しました。
実際にアートプロジェクトを展開してきた文化活動家・アサダワタルさんをゲストに迎え、福島県いわき市の復興公営住宅でのプロジェクトの様子を収めた映画の鑑賞後、アフタートークとしてアサダさんが登壇し、映画と同時期に制作された音楽作品『福島ソングスケイプ』にも触れながら、プロジェクトの進め方や考え方についての知見を共有しました。
|映像と音楽でプロジェクトを追体験する
最初にACKTの説明とアサダさんの紹介が行われ、上映会がスタートしました。
映画では、2011年に起こった東京電力福島第一原子力発電所事故によって避難してきた方々が暮らす、福島県復興公営住宅・下神白団地を舞台に、2016年より行われているアートプロジェクト「ラジオ下神白 あのときあのまちの音楽からいまここへ」(以下、「ラジオ下神白」)の様子が描かれています。
上映中の様子
もともと「ラジオ下神白」はアーツカウンシル東京が行う被災地支援事業「Art Support Tohoku-Tokyo(ASTT)」の一環として開始したものでした。
ラジオといっても実際に電波に乗せて放送を行なっているわけではなく、下神白団地の住民の方々にまちの思い出と馴染み深い曲「メモリーソング」について話を聞き、それをラジオ番組風のCDとして編集し、団地内限定で200世帯へ一軒一軒届ける、というのがプロジェクトの内容です。ときには再生機器を持っていない方にラジカセを貸し出して聴いてもらうこともあったそうです。
劇中では住民の方々との対話や音楽を通して、心を通わせていくアサダさんやプロジェクトメンバーの姿が描かれていました。
「ラジオ下神白」の活動を3年ほど続ける中、2019年の7月に結成されたのが「伴奏型支援バンド(BSB)」。
同年12月に行われるクリスマス会にて下神白団地の住民の方々が歌うメモリーソングのバック演奏をするため、公募により集まった関東に住むメンバーで結成されたバンドです。団地に住む方々に向けて行われているプロジェクトではありますが、下神白団地から遠く離れた地でバンドが結成され、全く関係性のなかった人々につながりが生まれるというのはアートプロジェクトならではかもしれませんね。
アサダさん達の地道な活動の成果もあり、12月のクリスマス会では、それまで一度も集会所に来たことのない住民の方も足を運び、多くの方々で会を楽しまれたそうです。
その後はコロナ禍の影響もあり、なかなか下神白団地に行けない日が続いたそうですが、そんな中でもオンラインで住民の方々との交流を続け、「メモリーソング」のミュージックビデオの制作やオンライン報奏会の開催など、アサダさん達と住民の方々の交流は今も緩やかに続いています。
|キーワードは伴走(奏)
上映後のアフタートークでは、冒頭でも紹介したプロジェクトディレクターのアサダワタルさんとアーツカウンシル東京のプログラムオフィサーとして「ラジオ下神白」のプロジェクトに携わっていた佐藤李青さんが登壇しました。
アフタートークの様子
アフタートークの中では、なぜラジオというメディアを利用したプロジェクトを行うことになったのか、理由が語られました。
アサダさんが下神白団地でのプロジェクトの話を持ちかけられたのは団地ができてから2年目のこと。下神白団地では「ラジオ下神白」以前にも、復興支援活動としてお祭りや集会所を利用した住民の方々の交流イベントは行われていましたが、自分から集会所に顔を出すのが難しい人や人の多いところが苦手な人、家から出ることができない人など、住民の中にはイベントを開催しても参加できない方がいたそうでうす。今までのような方法では住民一人ひとりと向き合うことができない、という課題が見え始めていました。復興支援としても、イベント型のものから住民の方々の生活に寄り添った活動へと移行するタイミングなのではないか、という話があったことから、アサダさんたちが考えたのが「ラジオ下神白」でした。
一人ひとりと向き合い、寄り添い、活動を行う「ラジオ下神白」のプロジェクトには、バンドの名前にも入っているように「伴走(奏)」というキーワードがあるように思います。
伴走とはマラソンなどで走者の近くで一緒に走ることをいいますが、アサダさん達の活動からはまさに音楽を軸に住民の方々の隣に立ち、一緒に歩みを進めていくような伴走の姿勢を感じました。
そのような姿勢で活動を続けた結果として、「伴奏型支援バンド(BSB)」の結成やオリジナルのミュージックビデオ制作など、おそらくメンバーもプロジェクト開始当時は想像していなかったような展開につながっていったのではないかと思います。
最後にアサダさんが下神白団地のみなさんとともに制作されたCD『福島ソングスケイプ』に耳を傾けながら、上映会は終了しました。
|それぞれの立場の人の言葉を翻訳する
上映会終了後にはACKTの活動への意見交換会として、アサダさんやACKTメンバー、国立市役所の職員、市民の方々を交えたトークセッションが行われました。
トークセッションの様子
トークセッションでは「ラジオ下神白」やACKTの活動だけでなく、アートプロジェクト全体について、参加者から様々なお話を伺うことができました。
「自分の住んでいるまちだけど、文化的な活動に参加していくイメージが湧かない」
「市から発信されるイベントなどの情報は、自分から探しに行かないと受け取ることができない」
意見交換を進める中で、こんな言葉が参加者から上がりました。
意見をくださった方のみならず、自分の生活の中で「文化に関わる」ということがイメージできない人は世の中に大勢いるのではないかと思います。
情報を発信する側は、一度その事実まで立ち戻って、活動の広め方や情報を届けたい相手が誰なのか、などを再考する必要があるのではないか、とアサダさんは言います。
例えば兵庫県伊丹市にある市立劇場では、劇場でのイベント情報を広く市民の方へ受け取ってもらうために、それまで劇場でのイベント情報のみを淡々と掲載していた広報誌をまちの居酒屋などへ取材した内容などを一緒に掲載するなど、市民の生活に寄り添った情報を積極的に取り入れた内容へと大幅にリニューアルしたそうです。
まちの情報を入れることにより、施設からの一方的な発信ではなく、取材した相手やそのお店に通う人などと人と人同士のつながりが生まれ、文化的な活動がより身近なものとして感じられるようになったことで劇場へ足を運ぶ人も増えたようです。
この劇場の例と同じく、アートプロジェクトも関わっていない人からすると、自分の生活と結びつかなかったり、そもそもどんな活動を行っているのか想像がつかないことで、自分自身がそこへ関わっていくイメージができない部分が多いと思います。
少しでもイメージのできなさ、分からなさという部分をなくしていくのが、情報を広く届ける鍵なのかもしれません。
どのまちでも、現場で実際に動いている人と行政(政策の領域)には距離を感じる、という話も上がりました。
そういった課題に対しては、どちらの立場にも属さず、それぞれの立場の人たちの言葉を翻訳する人が必要になってくる。アートプロジェクトであれば、うまく混ぜ合わせてアプローチしていくことができるのではないか、とアサダさんは語っていました。
「ラジオ下神白」のプロジェクトを起点に、アートプロジェクトを通じてまちとどのように関わっていくのか、さまざまな意見交換を行い、トークセッションは終了しました。
今回のラーニングプログラムでは、福島県いわき市で行われた「ラジオ下神白 あのときあのまちの音楽からいまここへ」の事例を映像と音楽、トークで紐解きながら、アートプロジェクトへの理解を深めていく時間を来場者の方々と共有することができました。
text : Ryo Ando
photo : Kensuke Kato